≪ 人の死を考える その1 ≫
13-1-19
人は輪廻転生します。
私たちの「霊魂」は不滅であり、人の「死」とは、肉体の消滅を意味しますが、霊体を支える「霊魂」が 消滅することはありません。
何度も転生して、新たなカルマを背負って、そのカルマを解消するために、今生に生を受けてきます。
人生には 何らかの課題を持って、この現生に誕生してくるようです。
まだまだ未熟な霊魂を鍛えるために、私たちは事前に
次の人生での課題を認識して、どのような人生を歩むのかを、あらかじめ決めてから出生する―――と いわれています。
私たちの肉体は 有限です。
必ず肉体は衰えて、消滅します。死を迎えます。
人は死を迎えると、エーテル体は49日から50日間は この3次元空間にとどまる―――とされています。
そのため 仏教では49日目の、神道では50日目に死者を「あの世」に旅立たせる法要を行なうことになります。
このときに いわゆる成仏させることになります。
成仏できない場合は、「不成仏霊」として「この世」に残ります。
人の浄化・浄霊を行なっている場合、とてつもなく多くの「不成仏霊」が、反応してきます。
これほどの不浄物霊が よくもまあ これほど存在しているのか―――ということに、驚かされます。
少しでも同調するエナジーを出すと、不浄物霊がよってきます。
マイナス波動で汚染されている方には、不浄物霊が常に寄り添っています。
死後の人間の状態については、どのような異次元世界に行っても、死後の世界では、生前での善行と悪行の影響を受ける―――とされています。
仏教では このような世界観を教えています。
これは ほとんどの宗派に関わらず大同小異のようです。
これに対して チベット密教では 死者の運命はその生前の倫理性に応じて、自動的に決まる―――というものではなくて、
自分の死後の運命を より望ましい方向に修正することができる、としています。
つまり―――
より望ましい状態に、自分を生まれ変わらせることができる、との世界観を持っているようです。
本来の考え方では、死後の成仏をさせるために「49日の法要」などを司る僧侶は、死者ができるだけ安住できる世界に導けるように するのですが、
生前の行為が その死者の死後の運命を決めるウエイトが、あまりにも大きいために 死者を回向(えこう)する僧侶が、どれほどの力があっても、惨めな異次元世界に転生することを、防ぐことができないもの―――とされています。
ところが、
チベット密教では 死後の世界を修正できる方法が存在する、といわれています。
「正しく生きる」方法を学んだ人は 正しく死に、正しく行動することのできる術を学ぶ必要がある―――と 説いています。
自分の肉体が崩御した後に なお存続する何らかの意識が残り、その特別の意識によって、死後の自分の安住できる世界に赴くことができる と、いわれているのです。
チベット密教に精通している秘伝者たちは、自分が死ぬときに待ち構えているものを知っており、その状態を観想することによって、
死に伴う感覚をすでに熟知しており、生前にそのような感覚を知っているので、死後に存続すべき「魂」が通る道や 抜け道あるいは死後の「場所」を知っている―――とされています。
それ故、
秘伝者は 死に際しても意識が明確であり、自分の肉体に起きていることを完璧に意識しながら 他界できるようです。
これに対して、
一般人の場合には、チベット密教の僧侶は 彼らが死につつあるときに、生前に修めていなかったものを教えるようにします。
死後に向う世界観について、死者に説き聞かせて、正しい方向に導こうとします。
死にかけている人に付き添うラマ僧は 各知覚器官に関わる特有の「意識」、つまり 「眼の意識」「舌の意識」「身体の意識」「耳の意識」を順番に分離させるように指導します。
視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚の五感が徐々に失われていくように 注意を呼びかけていきます。
そして次に、
「霊」を頭頂部から脱出させるようにします。
頭頂部からの霊が抜けないと、死後の世界での未来は危うくなる―――とされているからです。
この頭頂部から「霊」を引き抜く方法には、ラマ僧は 死につつある人と一体化することが必要になります。
死者に身体の体内に入り込むと、「霊」が頭頂部から抜け出ることができるように、頭頂部に裂け目を作ります。
こうして頭頂部に「霊」が昇ってくれるようにします。
自分でこの霊を上昇させることのできる秘伝者は、他者の手を借りることなく自分自身で解放できる人のことです。
霊を頭頂部から肉体という「鞘」の中から脱出させることによって、「自殺」することもできるようです。実際にこれを行なった神秘家たちもいるようです。
通常では、自らが死を決断して実行すると―――
そのカルマが次の転生の時に背負ってしまい、同じような自殺を迫る状況に置かれてしまうようです。
そのカルマを乗り越えなくては、ならないものとされています。
私は、多くの方々の「霊障」を解消することに 関わってきました。
そうした経験から、「先祖霊」が思いのほか 多いことに気づかされてきました。
先祖霊が取り憑いているケースに、幾度も遭遇してきました。
そのような方の中には 先祖霊によって、自殺願望を強く持っていた方もいました。
その方に取り憑いた先祖霊の影響で、その先祖の霊(不浄物霊)が縁あって 縁者の体内に取り憑いて、その先祖が自殺したようなケースでは、
その年代になると同じような衝動にかられてしまう―――ようなのです。
先祖霊を成仏させることで、このような問題は解消されたようです。
仏教の祖 釈尊は、死後の回向は一切必要のないものとしています。
ですが、我が国の仏教では、人の死後には、死者を弔うという習慣が根付いています。
死者を弔うことが、わが国の発展に大きく貢献している―――との指摘は、古来より枚挙にいとまがありません。
わが国の発展の陰には、先祖の霊を弔うという慣習が、その根底にあるように思われてなりません。
死者を丁重に葬り、その先祖の霊を弔うことで、子孫の繁栄に少なからず貢献していることになるようです。
つづく