≪ 写真分析から裏の歴史を考える 3≫
フルベッキ写真を分析する その1
ここに1枚の写真があります。
有名な「フルベッキ写真」で、私が所有しているものです。
これは今でもその真偽が話題になっていますが、明治維新に活躍したほとんどの人物が、映っています。
この「フルベッキ写真」が 初めて世間に出たのは明治28年と謂われています。
しかし、1976年頃に この写真に写っている人物の名前を挙げて 発表したことから大騒ぎになり、「そんなバカなことはない」となって 一旦は沈静しました。
だが―――
朝日新聞などに載るのであるからと、かなり売れたようです。
朝日新聞は「広告として掲載しただけである」として、その真偽についは「責任はない」との立場でした。
その業者は、フルベッキの子孫から 一緒に映っている人物名も含めて「受け取った」というようなのです。
このときの「フルベッキ写真」が、私の手元に入ったのです。
フルベッキが指導した44人が会した写真です。
当初は フルベッキが指導した佐賀の学生達として紹介されたようですが、幕末維新の英雄が勢ぞろいしていますし、敵味方に分かれているのが一緒であるはずがないとして、猛反発を受けていたようです。
この写真は「合成写真である」ともいわれましたが、本物の写真である―――と、専門家の意見は一致しているようです。
以下は、このフルベッキ写真の解説文です。
「京に集う人々
一葉の写真が伝わっている。
不可思議としか言へないものだ。 竜馬が、晋作が、小五郎がいる。
46人の人々(註:フルベッキと息子を含む)。一人の人物、明治天皇を除き、長崎という共通点がある。
写真家の祖、長崎大村出身の写真家、上野彦馬による撮影と考えられるこの一葉。
幕末の志士達と多く交わった彦馬の写真は注目されることも無く、今日に伝わっている。
後に、東京南校(東大)の教授となるフルベッキと共に撮られたことから推測するに、又、同席するべき人物、岩倉具視の姿が見へない処から、慶応2年十月二十七日から慶応三年一月九日までの撮影と考へられる。
撮影者が残した記録は少なく、無関係な推測による特定は避け、未だ未だ、推察 推考の待たれる一葉ではある 」
今回から、このフルベッキ写真に写っている幕末維新の人物に焦点を当てていこうと思っています。
チェックを続けていくと、その人物の問題点やメンタル・ストレスまでもが分析できます。それと同様に、写真を見て問題点を分析することが可能となってきます。
私は、撮影された人物の分析を 今までに幾度も行ってきました。
意識を集中するので疲れることから、積極的に行うことはありませんが、このフルベッキの写真には釘付けとなったのです。
フルベッキに関わりのある幕末維新の立役者が 44人も会した写真が残っているのです。
現存する写真は1枚もないのではないか、といわれている西郷隆盛も従道と共にそこには居ます。
ただ、岩倉具視は 撮影されたとされる時期には、京都郊外に潜居を余儀なくされており、長崎には行けなかったと思われます。
その息子三人(岩倉具定ともさだ、岩倉具経ともつね、岩倉具綱ともつな)がフルベッキの傍に映っています。