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写真分析から裏の歴史を考える 11 フルベッキ写真を分析する その9 竜馬暗殺とその背景 3

≪ 写真分析から裏の歴史を考える 11≫
フルベッキ写真を分析する  その9 
 
竜馬暗殺とその背景 3
 
画像から得られる死者からの回答には、基本的に「虚偽はない」という信念に基づいています―――と書きました。
 
竜馬暗殺に関わる数々の推論を、簡単に述べておきます。
 
竜馬暗殺に関しては、竜馬は即死もしくは翌日に死亡したようですが、中岡慎太郎は、2日間生きていたと伝えられています。
 
土佐藩谷干城(たにたてき)が、直ぐに駆けつけて、この間の事情を聴き出していたようです。
 
中岡慎太郎については―――
 
薩長同盟の立役者としては、竜馬より中岡慎太郎の方が上である、という見解が多いのです(この詳細は、次回に譲ります)。
 
 
新撰組説] 
新撰組が暗殺事件後に真っ先に疑われたのは、現場に残されていた刀の鞘を、高台寺党新撰組から別れた伊東一派)の篠原泰之進らが、
 
「これは原田左之助のものだ」と証言した事と、残されていた下駄も、「新撰組のものだ」という証言があった為です。 

その結果、大石鍬次郎は、「坂本龍馬暗殺」の名義で処刑されています。 
ですが―――この説は、今ではほとんど信じられていないのです。 
  
イメージ 1近藤勇 
新撰組隊長近藤勇は、龍馬暗殺に関しては、断固として関与を否定したまま処刑されました。
 
実際、写真から反応する霊体(エネルギー体)も、それに関しては一切関知していないようです。
 
近藤勇は、「薩摩藩の人間が関わっていると思う」と反応しています。 
  
[見廻組説] 
現在、一般に受け入れられている説です。 

見回り組は、寄せ集めの新撰組と違い、京における正規の警察のような組織です。 

これは、龍馬暗殺の罪で捕まったとされる大石鍬次郎が一旦は新撰組の犯行と認めたものの、翌年その言をひるがえし「見廻組の今井某らの仕業と聞いている」と述べた事によります。

実際、こののち今井らも犯行を認めて、刑を受けています。
  
だがしかし―――今井らはまもなく赦免されているのです。
明らかに、新政府との裏取引があると指摘されている所以です。
 
このことから、坂本龍馬暗殺には「政府側のなんらかの勢力」が荷担していると考えられる根拠になっています。
 
実行犯は見回り組で、暗殺の指令を出したのは、新政府に関わる誰か、となるのでしょうか。 

このことから、「薩摩藩説」や「土佐藩説」などが登場します。 

また、
船を沈没させて、『国際法』をたてに、竜馬に莫大な賠償金を支払わされ、幕府御三家の面目丸潰れにされた紀州藩説も 根強いものがあります。
 
が、新政府の裏の動きとマッチしないので、この説は無視することにします。 
 
長州藩は、龍馬に恩義があることもあって、暗殺には一切かかわりがないようです。 

桂小五郎木戸孝允)をはじめとする長州出身者は、「犯人は判らない」と反応しているのです。 
イメージ 2 
桂小五郎木戸孝允)「竜馬暗殺の犯人は、判らないと反応します」 

  
薩摩藩説」 
一般の説でも有力なのは,「薩摩藩実行(又は黒幕)」説があります。 
実際、大久保利通らの薩摩藩は、「倒幕」を本義としていたのを、徳川慶喜大政奉還をしてしまい、竜馬の画策で維新が成立してしまうことに、反感を抱いていた藩士も多かったといいます。

なかでも人切り中村半次郎(後の桐野利明)が龍馬を狙っていたともいわれます。
 
倒幕派の最先鋒であった大久保利通らは、龍馬に反感を抱いてもおかしくなかったし、大久保利通は、新政府においても裏で様々な策略を巡らせて、次々と人を蹴落としていったことでも有名です。 

この点、裏面史では主役となる長州藩伊藤博文と相通じているように思われます。 
イメージ 3
中村半次郎(後の桐野利明) 
中村半次郎の霊体(エネルギー体)は、実際に「坂本竜馬を狙っていた」と、応えています。
 
だがしかし、竜馬暗殺に関わっていないと反応します。
 
これについては、暗殺指令を出した人物は「知っている」といいます。
それは―――
 
大久保利通が関与している と反応しているのです。 
イメージ 4
 
大久保は、新政府の要人として、栄華を極めました(後に暗殺される)。
文京区の椿山荘など、様々な館を所有していました。
 
霊体(エネルギー体)は、竜馬暗殺に関与していると反応しています。
 
大久保は「自分が竜馬を今のうちに始末しておいた方がよい」と、土佐藩後藤象二郎に持ちかけて、土佐藩に実行させた、と反応しているのです。
 
註:西郷隆盛は、木戸(桂小五郎)や伊藤博文などの画策で、大久保などに政権中枢を追われています。
 
西郷は、名前からの引き出した霊体(エネルギー体)の反応では、龍馬暗殺に関与していないようです。 
  
 [
土佐藩] 
「なぜ、最終的に龍馬の暗殺犯ははっきり公にされなかったのか?」 
という事を考えると、「身内が殺したとは公表できない」と考えられなくもないのです。 

さらに、龍馬が暗殺された近江屋は、京の土佐藩邸の直ぐ近くに在りました。土佐藩士なら龍馬のアジトを知っていた人物も多数いたと思われます。 
 
イメージ 5    山内容堂 
藩主の山内容堂は、龍馬暗殺の新犯人は「知らない」と反応しています。 
  
イメージ 6岩崎弥太郎 
岩崎弥太郎は、三菱財閥創始者ですが、龍馬暗殺の新犯人は誰かを「知っている」と反応しています。 

歴史の裏舞台で、策謀を駆使した朝廷の岩倉具視あたりから、数々の情報を得ていたようで、「龍馬暗殺には土佐藩が関与している」との情報を得ていたようです。
 
岩崎は「後藤象二郎が関わっている」と反応しています。
 
そのためなのか、岩崎など土佐藩関係者は、龍馬暗殺に関しての話は、事件後一切しなくなった、といいます。 
  
イメージ 7 
後藤象二郎 

後藤象二郎は、龍馬の提案に基づいて土佐藩山内容堂と共に 連名で大政奉還徳川慶喜に迫って、龍馬の理念を成就させています。
 
といっても、龍馬が発案したことを公表せずに、自分の手柄にしようとしたことが、後年指摘されているのです。
 
坂本竜馬の政体構想「新政府綱領八策」とは―――
公議政体論のもと、
  1. 大政奉還
  2. 上下両院の設置による議会政治
  3. 有能な人材の政治への登用
  4. 不平等条約の改定
  5. 憲法制定
  6. 海軍力の増強
  7. 御親兵の設置
  8. 金銀の交換レートの変更(貿易に関する条文)
など、当時としては画期的な条文が平素な文章として記されています。
これには竜馬と交流のあった勝海舟大久保一翁の影響、福井藩の政治顧問であった横井小楠からの影響も指摘されています。
薩土盟約や土佐藩大政奉還建白書、五箇条の御誓文にまで連なる内容を持ち、卓越した議論といえる とされています。
 
後藤象二郎は 新政府においては、西郷隆盛板垣退助らと共に下野しており、後に板垣と自由党を結成しておりながら、変節して後年の内閣ではいくつかの大臣を歴任しています。
 
つまり、主義主張が一貫していないことが、いまいち後藤の評価が低いように思われます。 
  
霊体(エネルギー体)は、薩摩の大久保利通との密談から、龍馬暗殺の決行を指示したと反応しています。
 
これが事実として認識されたら(私は、そのように確信するが・・・)、さらに一段と後藤象二郎の評価は、地に堕ちるかもしれません。
 
ただ、福沢諭吉は彼を高く評価していることを付け加えておきます。 


以上のことから、竜馬暗殺の犯人は、土佐藩後藤象二郎の指令で、実行したのは土佐藩士であり、それを画策したのは薩摩藩大久保利通である、と結論できそうです。 

では・・・なぜ?竜馬を暗殺しなくてはならなかったのか―――という根本的な疑問が残ります。
 
それは―――
 
坂本竜馬は 幕府に大政奉還を迫ることを画策していましたが、その後の政治の中枢に、徳川家が居座る構想を持っていたからだ、と反応しています。
 
大久保利通は、徹底的に徳川政権を叩きのめす、武力での政権転換を主張していました。
 
これを竜馬は恐れていたようで―――そのような事態になれば 幕府軍と反幕府軍の戦争状態に突入してしまい、諸外国の武力介入によって、日本が損なわれてしまう、と考えていたようです。
 
後藤象二郎らも、大政を奉還した後も、徳川家が居座ることに反感を抱いていたようなのです。
 
そこで、早期に竜馬を抹殺するのがよい―――と 考えたようなのです。
 
もうひとつ、考察しておかなくてはならない人物―――中岡慎太郎がいます。
彼は、竜馬と共に刺客に襲われて、2日間は生きていました。
 
その間に、このときの状況を語っていたはずなのです・・・・。