容量がオーバーしましたので、その「つづき」です。
このような調整役がいなくては、大事は成し得ません。
小松帯刀は、『幻の宰相』と呼ばれる所以です。
坂元龍馬の発案が元になっていたものです。
朝廷は、上下二つの議政所を設けて、全ての政令をここから出すというものでした。
しかも、この段階では徳川家をこの組織のトップに据えていました。
だが、幕府側は、あくまでも大政奉還に反対して、幕府の元で兵制を改革して事態に備える、というものでした。
幕府主導で、諸藩はその指示に従うという姿勢を崩しませんでした。
「政権を奉還することはやむなし。それが国家にとって急務である」ということを強く論じたといいます。
正理にかなった公の道から判断しても、公明正大の行為であることを論じた小松帯刀の進言により、幕府も朝廷に政権を返上しないわけにはいかなくなった、と言われています。
を想定していました。
つつく
2019年5月11日記