≪ 日本のパワースポット16 大原三千院 ≫
「京都―、大原、三千院、恋に疲れた女が―ひとり・・・」
と 歌われた「三千院」です。
「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は、1871年以降使われるようになったもので、それ以前は「梶井門跡」「梶井御所」「梶井宮」などと呼ばれ、「梨本門跡」「円徳院」などの別称もあり、「円融房」が正式の寺名だったようです。
境内には往生極楽院のほか、宸殿、客殿などの建物があります。
「三千院門跡」の看板がかかっています。
天台門跡としての三千院
円融房のそばに大きな梨の木があったため、後に「梨本門跡」の別称が生まれました。
『太平記』によると、武芸を好み、日頃から自ら鍛練を積む 極めて例が無い座主であったといいます。
護良親王は前征夷大将軍であり、親王が時行に擁立された場合には宮将軍・護良親王-執権・北条時行による鎌倉幕府復活が図られることが予想されたためであり、親王殺害の2日後に鎌倉は北条軍によって陥落したのです。
大原は 古くから貴人や念仏修行者が、都の喧騒を離れて隠棲する場として知られていました。
大原はまた、融通念仏や天台声明(しょうみょう、仏教声楽)が盛んに行われた場所として知られ、天台声明を大成した聖応大師良忍も大原に住んだといいます。
三千院の中に入ります。
入り口近くの廊下。
ここは 多くの参拝客が訪れていました。
この中庭は なかなか良好な波動です。
おみくじの元祖「元三大師」(がんざんたいし)
本名は良源(りょうげん。912年~985年)で、慈恵大師(じえだいし)と呼ばれています。
『往生要集』の著者・源信は、彼の弟子の一人です。
中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集め 今日に至ります。
慈恵大師・良源には「角(つの)大師」「豆大師」「厄除け大師」など、様々な別称があり、広い信仰を集めています。
角大師-2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の像を表した絵であります。
伝説によると、良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるといいます。
角大師の像は、魔除けの護符として、比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られたようです。
全国あちこちの社寺に見られる「おみくじ」の創始者は、良源だと言われています。 確かに・・・・この絵は 「おみくじ」で よく見かけるものです。
この庭は 一見すると良好な綺麗なものですが、「魔」が反応しています。
「狐」系のマイナス波動に汚染されています。
この部屋は高波動です。ですが・・・・次の隣りの部屋は・・・
マイナス波動のエナジーが溢れています。
このように 左側の高い波動の部屋と 右側のマイナス波動の部屋が隣り合わせに共存しているので、とても気になって撮ったものです。
理由は、右側の部屋の土地には「地縛霊」が反応していますので、波動が落ちているようです。
地縛霊は 350年ほど前の男性二人のようです。
この地で殺されたのかもしれません。
ですが・・・・
内部は 観覧者の霊的な垢が充満していて、波動は低下しています。
境内の苔に覆われた庭園は 落ち着いた雰囲気です。
ここに鎮座している地蔵(右上)は、なかなかの波動です。
ここで容量を超えてしましましたので、次につづきます。
2015年9月19日記