生命体エナジー浄化の会ブログ

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東北ミステリーツアー その1

《 東北ミステリーツアー その1 》

福島から山寺へ その1

 

 2020年12月に、二泊三日の旅行会社の企画「ミステリーツアー」に参加しました。

「ミステリーツアー」とは、当日までどこに行くのか、一切知らされず、当日になって現地でどこなのかが判る、というものです。

 

今までにも、幾度も「ミステリーツアー」に参加しています。

 

今回も、東京駅から新幹線に乗車するということ以外は、全く分かりませんでした。

まず、新幹線のグリーン車(ミステリーツアーでは、新幹線は通常グリーン車を使います)に乗り、新白河駅で下車しました。

 

ここから、「白河小峰城跡」に行きました。

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思ったよりは立派なお城です。

日本100名城の1つです。

 

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小峰城は、戊辰戦争で石垣以外は消失してしまい、1991年に再建されました。

 

この後、「猪苗代湖」などを周り、福島の地で一泊して、バスで山形県に入り、「天童」を目指しました。

 

山形県に入ると、懐かしい風景に出会いました。

私は、山形国体に関わる「県の特別強化コーチ」を数年間行っていて、国体終了後も「県の特別強化トレーナー」の任についていて、山形県内は幾度も往復していたのです。

 

バスが天童に来ましたので、次は間違いなく「山寺」に行くものと確信しました。

やはり・・・次の目的地は、「山寺」でした。

私も配偶者も、すでに「山寺」に行っていますので、2回目となります。

 

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「山寺 立石寺本堂の根本中堂」です。

 

山寺は、貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で、比叡山天台座主であった円仁(慈覚大師)が開山したとされています。

ただ、この時期の円仁は60歳代の高齢であり、天台座主であったことから、「開山」を円仁、その弟子で後に天台座主となった安慧(あんね)を「開祖」とする説もあります。

 

山寺の正式名称は、宝珠山立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)です。

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根本中堂の前に、このような座像があります。

多くの参拝者が、この像の腹に触れているようで、霊的な垢(あか)がこびりついています。

 

霊的な垢(あか)を取り除きますと、なかなかの波動の像となります(画像はそのままにしています)。

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本尊は「薬師如来」です。

 

真言は「オン コロコロ マトウギ ソワカ」です。

真言を唱えても、「薬師如来」は反応を示しませんでした。

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「1200年不滅の法灯」とあります。

 

これは、1200年前に開山のときに、比叡山延暦寺から分灯されたものです。

1521年の兵乱で、立石寺とともに法灯も消失しましたが、その後再び延暦寺から分灯されました。

 

逆に元亀2年織田信長延暦寺が焼き討ちにされたときには、ここ立石寺から延暦寺に分灯されました。

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出羽国 山寺総鎮守」とあります。

特に波動が高い反応はありません。

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松尾芭蕉の像です。

有名な「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」を、ここ山寺で詠んでいます。

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「往生阿弥陀如来」とあります。

特に波動が高い反応はありません。

 

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ここからが「登山口」です。

巡拝料300円です。                                                   

 

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大仏殿のある奥の院まで、1015段ありますが、一段一段踏みしめて行く毎に、一つずつ煩悩が消えて、悪縁を祓うことが出来ると云われています。

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長い階段が続きます。

 

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途中に、波動の高い岩が現れます(特に右側の岩)。

 

ここに、「女人結界」が張られています。

全ての女性が、ここを通過することで、身体に憑いている「邪気」が払われます。

 

ですが、ほとんどの方は「女人結界」に気づくこともなく通過します。

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さらに参道の階段を登っていきます。

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「修行者の参道」の看板

 

開山した慈覚大師が歩んだ参道を、先祖もその子孫も歩むことから、「親子道」とも「子孫道」とも云われています。

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先祖も、またその子孫もまた、代々修業者の参道を登り続けます。

こうして、代々山寺の参道を上り、子孫繁栄を願い続けていくのでしょう。

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「弥陀洞(みだほら)」です。

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阿弥陀如来を彷彿とする姿が、岩が風化して映ることから、「弥陀洞(みだほら)」の名前があります。

高さ4,6Mです。

 

阿弥陀如来の姿に見えた方は、「幸せになれる」と云われています。

 

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山寺の参道から見えるこの斜面が、気に入りました。

波動が高いからです。

 

ここは「百丈岩(ひゃくじょうがん)」と呼ばれているようです。

良好な波動が感知されます。

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「せみ塚」です。

 

奥の細道』によると、松尾芭蕉は尾花沢での句会のとき、

「山形領に立石寺(りっしゃくじ)という山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべき」と勧められて、尾花沢から急遽取って返し、山寺まで来たことが書かれています。

 

芭蕉が山寺を訪れたのは、332年前の7月夕方頃です(元禄2年1689年7月13日)。

麓の坊に荷物を預けて、立石寺を登り、「岩を巡り、岩をはいて仏閣を拝し、佳景寂莫として 心すみ行のみ覚ゆ」と、「奥の細道」に書いています。

 

「日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に上る」

すでに岩上の院などは閉まっていて、扉を閉じていて、物音も一切聞こえない中で・・・・

唯一 蝉の声だけが響きわたっているという有名な

 

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句ができました。

 

寂莫とした佳景の中で、蝉が鳴いていて、「閑かさや 岩にしみ入る・・・」という情景が浮かびます。

 

芭蕉の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石に塚を立てたものが「せみ塚」です。

 

当初は、「山寺や 岩にしみ入る 蝉の声」の句でしたが、再考して、「寂しさや 岩にしみ入る 蝉の声」の句に替えて、さらに再考に再考を重ねて、最終的に「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」にしたということです。

 

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「せみ塚」を通り、「百丈岩(ひゃくじょうがん)」を見ながら、さらに上を目指します。

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仁王門です。

 

邪気のある人は、ここから先に踏み込んではならないとされています。

確かに・・・・ここには「結界」が張られています。

 

ここは、「男人結界」のようです。

全ての男性は、ここを通過することで、身体に憑いた「邪気」が払われます。

 

こうして、「女人結界」「男人結界」を通過して、全ての参拝者の邪気が払われることで、山寺の「奥の院」を目指します。

 

               つづく

 

          2021年9月15日記