≪ パワースポット巡り10人旅 その1 ≫
籠神社(このじんじゃ)
アドバンス講座の終了後、誰ともなく「ドラセラ(ドラスティックセラピスト)で、パワースポットを巡る企画を起てるように・・・・」との拝命を受けました。
しかし、私には 「荷が重すぎる・・・」と拒否しましたが、話はどんどん進みます。
「誰が行くかは 私に任せて」「じゃア、日程は僕が・・・・」と、かってに盛り上がっていました。
そして―――私の講座に出席している面々に、関西から参加者2名を加えて、全10名の「パワースポット巡り」が企画されたのです。
最終的に取り仕切ったのは 大阪のイッチ。
レンタカーの手配はタッキー。その他は その指示に従うことになりました。
2015年11月27日に京都駅9時集合。
すでに大阪のイッチが来ていて、タッキー、ヒサヒサ、モリモリ、カネゴンも到着。大阪のピカリンもきて、
集合時間の前に、ミッチー、皇子、アジャリンコの男性3人は、始発で東京を発って 「東寺」見学。
「たっプり、いい空気を吸ってきた」と、朝から鼻息が荒い。
そして、天橋立を目指しました。
天橋立に着くと 大雨。 日頃から 素行の悪い奴がいるのでは・・・・と、お互いを牽制しあっていました。
大雨の中を ミッチーが傘を買いに走りましたが、結局無駄骨になりました。
天候は回復して、「籠神社(このじんじゃ)」へ。
籠神社は―――伊勢神宮が祀られる前までに、各地に置かれた「元伊勢」の さらに「その前」にあたる「本伊勢」とも称されているのです。
伝承によると(籠大明神縁起秘傳)、「天橋立の松の梢に、光り輝くものがあり、その形は『籠(かご)』のごとく、その光影を神躰として奉斎す」とあります。
外宮の「元伊勢」は この「籠神社」なのです。
さらに言えば―――
それ故、「内宮」と「外宮」の 両方の元伊勢である唯一の神社が、「籠神社」
となりますので、ここは「本伊勢」とも称しているのです。
本来、伊勢神宮は「外宮」も「内宮」も正殿には 三宮が並び建っていた、というのです。
この絵は 17世紀の江戸時代に、描かれたものと伝えられています。
これには 「外宮」も「内宮」も正殿には、三棟が建っていたのです。
その三棟のなかの「本宮」に相当するのが、「伊雑宮」だというのです。
かって―――
なぜか――「伊雑宮」には 重要な秘密があるようなのです。
石灯籠を企画したのは「伊勢三宮奉賛会」という組織のようです。
日本には「カゴメ歌」があり、これには何十通りもの解釈があるとされています。 これは暗号であり「言霊(ことだま)」でもあるともいわれています。
「後ろの正面だーあれ!」との歌詞にある「後ろの正面」とは、本宮である「伊雑宮」に対する「内宮」「外宮」の後ろは―――「籠神社」である、とされる解釈があります。
「外宮」と「内宮」を直線で結ぶと、その先(正面)には 「伊雑宮」が位置します。
この3つの宮を、直線で結ぶと、その後方の先(後ろの正面)には「籠神社」が在って、ともに同じライン上になります。
つまり「外宮」と「内宮」及びの「伊雑宮」の「後ろの正面」の位置に、「籠神社」があるのです。
霊的スポットを結ぶ「レイライン」といってもいいかもしれません。
また―――
そして―――旧暦10月は「神無月(かんなづき)」といって、出雲に全国から神々が集まるので、「神がいなくなる月――神無月(かみなしつき)」と、いわれています。
神社には ふつう「本殿」と「拝殿」があります。
本殿は拝殿の方向を向いていますので、人々は本殿に向かって、拝殿から参拝します。
ですが―――出雲大社は、拝殿に向かって本殿は対峙していないのです。
本殿は 別の方向に向いているのです。
出雲大社(本殿は、拝殿の方向を向いていません)
どこを向いているのか―――それは、東の方向、「籠神社」を向いているのです。
そもそも籠神社は、「山陰道一之大社」でした。
つまり、出雲大社よりも はるかに格が上だったのです。
このように 籠神社は かなり格式が高いのです。
我ら10人は、まずこの籠神社を訪ねたのです。
籠神社正面
参拝する一行
二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)
神妙に神への感謝の意を捧げますが、皆 手に傘をぶら下げています。
外宮元宮
ご神木
確かに・・・この木は「生きています」
本殿正面
本殿の内部
本殿高欄には 五色の座玉と呼ばれる宝玉が飾られています。
これは 朝廷からの許可を得ないといけないもので、この籠神社と伊勢神宮以外には見られないものです。 籠神社の格式の高さを伺い知ることができます。
ご神木「撮影禁止」の看板もある(無視しました)
この木も「ご神木」です。「生きています」。
屋外で、しかも「自然の樹木」に対して「撮影禁止」の看板とは、珍しいものです。その珍しさのあまりに、看板を無視して撮影してしまいました(申し訳ありません)。
これを聞いた岩見重太郎は鎮霊を決意して、一夜音の方向に剛刀を一閃。狛犬の前脚が切れて、それ以後 出現が止んだという。
以来 社前に還座して 魔除けの霊験が聞こえたと伝えられる。
他所と違い、胴と脚がどっしりとして日本化された狛犬の最大傑作と云われる」
さざれ石 この石にもエナジーが入っています。
たっぷりと神気を身体全身に浴びて、籠神社の奥の宮である「眞名井神社」」へと 向かいました。
つづく 2015年12月12日記