生命体エナジー浄化の会ブログ

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イースター島に思う 4

≪ イースター島に思う 4 ≫
モアイと共に生きる島
 
アフアキビ
 
1960年に、木やロープや石など古典的な道具を使って、初めて修復されたところです。
 
5世紀にラバヌイ人の先祖が訪れ、伝説の王:ホツマツア王の7人の息子(使者)を祀っているといわれています。
 
太平洋の西側、ホツマツア王がやってきたと言われているマルケサス諸島のヒバ島があります。
 
そのためなのか、この7体のモアイだけが、西の海(ヒバ島方向)を見つめています。
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オロンゴに行きました。
 
17世紀に起きた内乱のモアイ倒し戦争時代以降には、島の統治者を決めるために行われた儀式(バードマンレース(鳥人の儀式))は、ここが舞台です。
 
断崖を下って、島に泳ぎ着くというレースの勝者が、統治者に収まったという伝説があります。
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ここの島まで泳いでいくレースが行われたといわれています。
 
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この火口湖は、雨水を貯める島の飲料水となっています。
 
 

イースター島のモアイ像の最大の謎はーーー
一体、モアイ像は何のために、作られたのか? このことにつきます。

神として信仰する対象説、墓地説など諸説紛々、様々な説があり、
結論から言うと、これだと言う結論には至っていないのです。


というのもモアイそのもの以外、モアイに関する資料がほとんど残っていないからなのです。

唯一の手がかりに、島民が使ったと言う「ロンゴロンゴ文字」と言う絵文字の存在があります。

文字の刻まれた板や石が、過去には多数存在したと言うのですが、
後に入り込んだ宣教師たちにより「悪魔の文字」とされ、次々に焼かれたり、破壊されてしまったと言うのです。


現存するのは24枚程度で解読もほとんど進んでいないと言います。


しかも、すでに述べたように 島民はヨーロッパ人の侵略を受け、奴隷として連れ去られたり、天然痘で絶滅寸前になったと言うことなので、文字を読める人は全くいなくなったといいます。

ただ、この文字に関してもモアイに関連する記述は見受けられないといいます。

 

概してモアイは海のほうを向いていると思われがちですが、
実はほとんどのモアイ像が島の内側を向いています。

 
現地での研究者の話では、村の先祖を祀るために製造したのではないか、と言っていました。つまり、その村に由来する高い地位の人を、モアイとして残しているーーーのかも しれない、とのことでした。
 

モアイの近辺から多くの人骨が発見されていることから、「墓地説」も出たこともあります。 研究者はこのことも指摘していました。

有力な説では、祭祀目的で建てられたというのがありますが、結局のところ、どれも説止まりで、結論は出ていません。

いや、結論が出ないからこそ、イースター島のモアイ像は「世界の七不思議」の一つとして数えられているのかもしれません。

「ナスカの地上絵」についても、まだこのことを全く知らなかった子供時代に、
「地球には宇宙人が来ていた!」という番組があって、
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エジプトの大ピラミッドも、宇宙人が建造したのではないか、など様々な説を紹介してるラストに、
 
地上ではなくて、まだ飛行機もない時代に、上空からではなくては「ナスカの地上絵」は判らないーーーこれこそ古代に宇宙人が来訪していた証拠であるーーーというシーンを観て、「なるほど!」と感動したことがありました。
 
実際にナスカでセスナに乗って、上空から「地上絵」を見たときに、
「・・・確かに・・・・宇宙人へのメッセージではないか・・・」と、思ったことがありました。
 
今までにも様々な説が唱えられていますが、いまだ決定的なものはないようです。
 
イースター島のモアイにも、かって存在したであろう太平洋に沈んだムー大陸の文明を偲んでいるのはないか、などの説もあるにはあります。
 
ムー大陸」とは、『トロイの古写本』をフランス人の神父が解読したのを、英国人元大佐のジェームズ・チャーチアワードが「ムー大陸」と名付けたのが始まりです。
 
今から12000年前に、太平洋のど真ん中に存在した大陸があって、「ラ・ムー」とう国王が統治する国家がったとされているのです。
 
歴史学者は認めておりませんが、その国は首都がヒラニプラといって、人口は6400万人で、次々と他国を襲って侵略する軍事国家であった、というのです。
 
そのためなのか、神の怒りを買って、未曽有の大噴火、大地震で太平洋に消え去ったというのです。
 
ムー大陸は東西8000キロ、南北5000キロにも及ぶ広大な面積を有したといわれています。
 
イースター島は、このムー大陸の最南端にあって、この昔の大陸を偲んで、モアイを建造したーーーという説もあるようなのです。
 
モアイの顔は、どの地域の像とも似たものがなく、あまりにも独特な形状のために、どことも関連性が見出されていないのが、七不思議のひとつとなっています。
 
 
「アフビナフ」に行きました。
 
有名なインカ帝国の石積みと、同様な技術が残されています。
石の間には、まったく隙間がなく、高度な技術力が示されています。
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インカ帝国のあったクスコにある「サクサイワマン」の城砦に行ったとき、その石組みの完璧さに感動したことがありました。
 
よくテレビ番組などで紹介されるように、剃刀ひとつでも、石との隙間に入らないほど、完璧に積み上げられているのです。
 
これはクスコの街並みにも当時の石壁が残されていて、侵略者のスペイン人も、インカの遺跡の上に教会などを建造していました。
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サクサイワマンの城壁
 
このような石組みと同じようなものが、なぜイースター島に残されてるのか。
ペルーにあるインカ帝国との類似性が 研究されているようですが、結論は出ていないようです。
 
この石垣のそばにこのような石がありました。
この石だけが高波動なのです。
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この背後にある石垣が組まれたのは、今から1200年ほど前と反応します。
 
このポツンと残された「石」は、やはり1200年前から存在するようです。
なぜ「この石だけが高波動なのか?」
 
この石は、1200年以上を超える前では、高波動の反応は示しません。
ただの石ころなのです。
 
ではーーーなぜ、この背後にある石垣が建造される1200年前の当時から、この一つの「石」だけが高波動で、実際の背後に組み立て終えた石垣は、現在では高波動ではないのか?
 
以下は、私なりの自説です。
 
この石には 実際に石垣で組まれる予定のものであって、その当時からそのまま放置されたものである、と思われます。
 
この「石」に高波動のエナジーを注入して、重力に打ち克つような反応にしておいて、何らかの理由でそのまま放置されたままであったーーー
 
だから、この石は空間に浮かせることができるようになっていた、このような荒唐無稽な妄想を起こさせるものでした。
 
このように捉えると、この「石」が高波動のエナジーに包まれたものであることが、何となく解るような気がしたのです。
 
これについては、公認ドラスティック・セラピストの武井宇史氏から情報が届きました。以下、その原文です。
 
質量が0以下の「負の質量をもつ物体」の生成に米大学が成功! ついに“反重力装置”が実現か!
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画像は「Thinkstock」より引用
 
 米ワシントン州立大学の研究者らが、重力に反発するといわれる「負の質量」の生成に成功したという驚きのニュースが飛び込んできた。SFの世界で語られてきた夢の「反重力」がついに実現するかもしれない。

■「負の質量」の奇妙すぎる性質
 まずは「負の質量」のイメージをつかんでもらうために、科学ニュース「ScienceAlert」の記事を参考に、簡単に説明してみよう。

 古典力学における運動の記述に「ニュートン運動方程式」というものがある。内容は至ってシンプルで、「物体に働く力とは、物体の質量と物体の加速度を掛けたもの」だと言っているだけ。

通常はF=maF:物体に働く力、m:物体の質量、a:物体の加速度)と表現される。

 負の質量の奇妙さを理解するためには、この方程式を少し変形してみるだけで十分だ。

上述の方程式をa=F/m(物体の加速度とは、物体の力を物体の質量で割ったもの)と書き換えて、物体の質量に負の質量をあてはめると、マイナスの加速度を得ることになる。

つまり、負の質量を持つ物体に力を加える、たとえば指で押してみると、押された方向とは反対の加速度を得るということだ。
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画像は「ScienceAlert」より引用
 日常では全く見られない奇妙な現象だが、理論物理学者にとっては負の質量が存在するかしないかで大きな違いがある。

というのも、ワームホールブラックホール、果ては仮想物質ダークマターダークエネルギーという、これまたわけのわからないものの存在を証明する鍵が、この負の物質に隠されていると彼らは考えているからだ。

 もちろん、その奇妙な性質から、物理法則を破る可能性も指摘されてきたが、今回の発見は、一般相対性理論と矛盾することなく負の物質が存在することを実証してしまったというわけだ。

原文紹介ここまでーーー
 
これ以外にも、ある種の金属に電磁波を照射することで、物体が浮きがることも解っています。
 
このような電磁波を、人体が照射できる可能性があるかもしれません。
 
容量が超えましたので、「つづき」ます。