生命体エナジー浄化の会ブログ

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日本最古のパワースポットを行く 3つづき

《 日本最古のパワースポットを行く 3つづき 》
 
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ここが、地底世界に通じる次元の割れ目かも。
 
「地底世界」については、様々な文献に登場しています。
少しネットから引用してみます。
 
つまり、地球は空洞になっていて、次元の異なる別の世界が存在するというものです。
 
空洞地球は古代から語られています。多くの神話に登場していたし、地球空洞説は古代バビロニアの伝説にも登場していて、かつては多くの人々に信じられていたといいます。
シムズの地球空洞論にロシア皇帝も興味を示したし、ヒトラーも懸命に探して南極に探検隊を派遣していたといいます。
1967年にアメリカの気象衛星ESSA-3が北極と南極に穴らしきものを撮影し、翌1968年も気象衛星ESSA-7が鮮明な北極の穴を撮影したとされています。
大きな穴は、その直後に発見された金星の穴の写真と酷似していることが指摘されています。
南極で 巨大な空洞に飛び込んでしまったというバード少将のリアルな証言は、世界に衝撃を与えました。
1947年リチャード。バード少将は、南極の極点まで飛行して戻るとき、異次元の世界に誘導されたと、言うものです。
ここで、空洞世界の 人類よりも数千年も進化している地底人とコンタクトしたというものです。
広島、長崎に落とした原子爆弾を、彼らは危惧していることを知らされています。 人類は警告されたのです。
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バード少将が撮った空洞世界画像とされるもの。
南極大陸には異次元の入り口があり、彼らと十数か国が条約を結んだ、との話もあります。こららは、絶対的な口外不可のかん口令が引かれていたといいます。
バード少将は、それ以降政府の監視下に置かれてしまったといいます。
南極や周辺には各国の科学基地が多いのも、その事実を確認するために在る、とのうわさもあります。;
南極探検家として有名なアメリカのバード少将が、現にその大穴を発見したとされていて、彼はその事実の発表を政府から押さえられたまま1957年に死去してしまったというのです。
 
 
1947年、アメリカ海軍は第68機動部隊を編成してバード少将を指揮官として〈オペレーション・ハイジャンプ〉と呼ばれる南極探検および極地用兵器のテストを行ったのです。
 
この作戦終結後、彼はただちに北極において、短期間の調査を行っていますが、その際に 彼は記者団の問に対してこう言っていました。
 
「私は極の彼方の土地をこの眼で見たいと思う。その極の向こうの地域は大きな謎の中心をなすものだ」

問題はバード少将がこの発言の中で、極の彼方、The landbeyond the Pole という表現を使っているというのです。

 
北極は海であり陸地はありません。
なんでそこに land という言葉を便っているか? 
 
地球の内部には大きな空洞があり、そこには古の知恵と限りないパワーを持っている地下の長老たちが住んでいる――この地低の王国説、つまり『地球空洞説』は古代バビロニアの伝説にも登場するほど、古くから人々の間で取り沙汰されてきました。
 
18世紀の天才数学者レオンハルトオイラーは、地球の内部は空洞で、中心には太陽があり、生物も存在すると考えていました。
 
ハレー彗星を発見したエドムンド・ハレーも1692年、極の磁気変動を説明しようとして、地球空洞説を提唱しています。
 
北極と南極には巨大な穴が開いており、ここが地底世界の入り口になっている。そして地底の中には、「地底の太陽」がその中心に輝いている。
 
よく極地で見られるオーロラは、この地底の太陽の光が、入り口である穴から漏れて地上の大気に反映したものであるというのです。
 

エッサ7号が1967年に映した北極の大穴
http://x51.org/x/03/11/2238.php

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この世界に、北極海から迷い込んで、空洞世界(地底世界)から生還した人物によると、元の世界に戻った時(2年後)は、南極だったーーーという話もあります。
 
さてーーーこのことが事実なのか、単なる虚言なのかは、お任せします。
同様に、私の今回の話の信憑性もお任せします。
 
そうなると、「マグダラのマリア」とイエスの子供であるサラは、地底世界からこの世にやってきた・・・・そこで、私がアイスランドに行くことを事前に察知して・・・・そこに戻る機会を待っていた・・・・
 
空想が空想を生み、異次元からやってきたとすると、サラが「聖杯である次元上昇の符号の管理者である」とする説にも、意味をもてるかもしれません。
 
以上のような妄想に捉われましたが、再び「三輪山登拝つづき」のブログにもどります。
 
                       つづく
                     2018年1月15日記