生命体エナジー浄化の会ブログ

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日本最古のパワースポットを行く 4

《 日本最古のパワースポットを行く 4 》
桧原神社
 
 昨日(2017年12月)、「狭井神社」で桧原神社へは、タクシーで行けると聞き、ネットで調べましたが「クルマ」での案内はありませんでした。
 
出発時にナビで、「桧原神社」を探しましたが、ナビでは出てきません。
そこでーーー大神神社に行って、駐車場の係員の方に尋ねました。
 
「国道に出て、陸橋を渡ると@@医院がある。そこを曲がると・・・途中から桧原神社の看板が出てくる・・・・」
 
このように教えられました。
実際に行ってみると、かなりの距離があります。
 
狭井神社」で桧原神社へは、1.5キロと聞いていたので、少し不安になりましたが、確かに陸橋があり、医院がありました。
 
そこを曲がると、集団で人が歩いています。
どうやら、桧原神社に参拝に行く方々のようです。
 
狭い途を入ると、「桧原神社」が見えました。
専用の駐車場(無料)もあります。
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大神神社摂社:桧原神社」の看板があります。
 
この鳥居から中は、「結界」が張られています。
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皇大神宮聖跡:倭(やまとの)笠縫邑(かさぬいむら)」
 
「笠縫邑(かさぬいむら)」とは、崇神天皇6年に、宮中に奉祀していた天照皇大神を移して、豊鍬入姫命(とよすきいりのひめのみこと)に託して祀らせた場所のことです。
 
笠縫邑があったとされる地は、この桧原神社の他にもいくつかあるようです。
笠縫邑は大嘗祭豊明節会の起源に関係する土地との説もあります。
 
いずれにしろ「天照皇大神」の御神霊を移した最初の地とされています。
 
その後、御神霊は各地を移動して、最終的に現在の「伊勢神宮」になりましたので、この地は、「元伊勢」の一つとなっています。
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手水舎
 
この水があまりにも清く澄んでいましたので、シャッターを切りました。
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ひじょうな高波動水です。
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参道は整備されていて、高波動の「神気」に満ち溢れています。
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これが有名な「三つ鳥居」です。
拝殿はなく、背後の三輪山をご神体として、拝むことになります。
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豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)を祀っています。
崇神天皇の御代に、天照皇大神」の御神霊を移した方で、この方を祀っています。
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こうして、桧原神社を訪れた後に、道路にあった看板「日本第一 笠山荒神社」という名称に惹かれて、「三宝荒神」の祀られている「笠山荒神社」を目指しました。
 
山一つ越えた先に、その神社はありました。
山間部にある集落の中に、駐車場があり、数台のクルマが停まっていましたので、こんな山奥なのに、訪れる人がいるのか・・・・と、思いました。
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何が「日本第一」となるのかは、さっぱりと解りませんでした。
ネットで調べても、判りません。
 
ただ、「日本三大荒神」のひとつで、兵庫県宝塚にある清荒神も「日本第一清荒神」のようですし、大阪府箕面勝尾寺は笠山荒神を外して、うちと清荒神高野山の立里荒神が三大荒神だとしています。
 
これらに対抗して、「日本第一」としているのかもしれません。
 
というのもーーーここには、桧原神社であるような「笠縫邑(かさぬいむら)」の天照皇大神様の御神霊を移したとされる「元伊勢」伝説があるようなのです。
 
しかしーーー
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鳥居から先にも、ここには「結界」がありません。
これで、神社の「格」が解ります。
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灯篭の大部分は新しいものです。
古式豊かなものではりません。
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別の参道からのものです。
ここにも「結界」はありません。
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境内は、特に高波動でもありません。
 
私は「三宝荒神」という名称に惹かれて来ました。
真言の「オン ケンバヤ ケンバヤ ソワカ」をつぶやいても、まったく反応しませんでした。
 
三宝荒神」とは、仏法と伽藍を守護する守護神で、不浄や災難を除去することから、「火」と「竈(かまど)」の神として祀られています。
 
強烈な神として認識されています。
 
それはーーー「三宝荒神」を祀る人を攻撃する悪人には、厳しい罰を下し滅ぼすとされているからです。
 
三宝荒神飛鳥時代から奈良時代にかけて役行者(えんのぎょうじゃ:634701)が感得したのが最初と言われます。
 
816年(弘仁7年)、弘法大師空海高野山を開くため地鎮の法を修法していたとき、にわかに天地が振動し、東の方より黒雲たなびき異形の鬼神が現れ、さまざまな妨害を行ってきました。

空海が「汝は何者ぞ」と問うと、鬼神は「我は荒神ヶ岳に住む神である。九億の眷属を不信心の家に遣わし七難を引き起こすことができる。

しかし自分を祀るならば、一切の障害を消滅させあらゆる願いを叶えてやろう。七難即滅七福即生が我の第一の誓願である。自分を祀れば必ず大願成就する」と告げました。

そこで空海三宝荒神の姿を描いて本尊とし、荒神供の修法を執り行い、立里荒神として祀りました。高野山の伽藍は無事建立され、空海は以後生涯に亘って毎月のように立里荒神に参拝したといいます。

三宝荒神については諸説があります。

空海が書いたとされる「三宝荒神祭文」は本地を「文殊菩薩」としていますが、阿弥陀如来不動明王とする説もあります。

日蓮聖人は、三宝荒神十羅刹女であり、法華経を信じる人の守護神になると説いたと御義口伝にあります。

神道では奥津彦命奥津姫命火産霊神などであるとしています。

共通するのは、三宝荒神が凄まじい力を持った力の神だという認識です。その力ゆえに、三宝荒神は千年以上人々から篤く信仰されてきたのです。
このような「三宝荒神」に触れたいと思った私の思惑は、残念ながら達成できませんでした。
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参道入り口の横にある閼伽井(あかい)不動です。
 
空海遣唐使から帰って高野山へ入るまでの21日間は、ここの閼伽井で修行をしたと伝わっています。
 
行者の始祖とされる役小角(えんのおずね)によって、笠山に荒神が鄭重に奉祀されたことが、風土記に記されていたようです。
 
以来、この地を中心とする笠山の地は、高僧・修験者・陰陽師などの修行の場となり、神仏習合の霊地として信仰を集めたといいます。
 
明治初年には、神仏分離により笠山荒神社となりましたが、現在も修験者などからの信仰は続いているといいます。
 

ここの三宝荒神は、『笠荒神鷲峯山竹林寺來由記』に見えるように善を助け悪を罰する神で、「麁亂神」(そらんしん)とも呼ばれているようです。

このように格式は高いようなのですが、この神社の霊的なパワーは、それほどでもないようです。
 
我々は、今回のもう一つの目的地である「石上神宮(いそのかみじんぐう)」を目指しました。
 
ここは、予想を超えた神域でした。
                      つづく
 
                     2018年1月21日記