《 対馬のパワースポットを行く 3 》
オソロシドコロ1:表八丁角(おもてはっちょうかく)
「オソロシドコロ」とは、対馬固有の宗教「天童信仰」の聖地です。
龍良山(たてらさん)そのものが聖地で、その麓に表八丁角と裏八丁角があります。
そこを「オソロシドコロ」と呼んでいるのです。
龍良山(たてらさん)、別名「天童山」
この麓にある聖地を目指します。
山全体の波動が高いので、期待が高まります。
そこには絶対的な「禁足の地」が存在して、今でも立ち入りが禁じられているエリアがあります。
そもそも「天童信仰」とはーーー
龍良山(たてらさん)の麓に、673年に生まれた天童法師に由来します。
天童法師を産んだ母は、虚船(うつろふね)に乗って漂着した高貴な身分のお方、とされています。
このお方は、太陽に感精して、子供を授かります。
太陽=天童なので、「天童」と名付けられました。
天童法師は、嵐をまとって空を飛ぶことができたと云われています(空中飛行)。
彼は超能力者で、様々な霊力を発揮したといわれています。
後に上京して、病気で苦しむ元正天皇の病を治したことから、「宝野上人」の称号(菩薩号)を賜ったといわれます。
この超能力者「天童法師」にかかわる土着の宗教が、「天童信仰」です。
これがーーー通常の「天童信仰」となっています。
対馬独自の「天童信仰」には、太陽の光が女性の陰部に差し込んで孕み(はらみ)、子供を産んだという「太陽感精神話」が伝えられています。
「母神」と「子神」として、「母神」を山麓に祀り、「子神」を山頂に祀り、天神たる太陽を拝み、山は天童山(龍良山(たてらさん))として禁忌の聖地とされていました。
聖地には 石塔を造って山と太陽を拝む信仰がありました。
それが「オソロシドコロ」なのです。
一説によるとーーー
そのためには 特別な才能や能力をもった子供が生まれてくる必要があり、その子供は神の使い、言い換えると神と人をつなぐ存在、天童は神童であり、天の神、日の神の息子である必要があったのです。
世継ぎとなる子を産むための特別な儀式があり、男性の神官と女性の巫女が交わりを持ったといいます。
その巫女も、共同体の中から特別に選抜されて育てられた女性であり、神を感じやすい女性であり、処女であることが条件でした。
交わる場所、日の神の魂が入るためには、朝日が昇る時刻を選ぶ必要があったのです。
天道法師縁起には処女懐胎の物語が展開されています。天道法師の母は太陽の光に感精して、法師を身ごもったと伝えられています。
男女交合の後、巫女は龍良山の北側の祭祀場まで連れて行かれ、そこで妊娠したかどうかを確かめられました。
もし、妊娠していなければ、巫女は用済みとなって、その場で殺されたとも考えられます(巫女は、処女であることが前提です)。
臨月になり、陣痛が始まる頃に、急いで龍良山を担いで登り、今度は南側に降りて塔のある場所に臨時の産屋を作り、出産させたといいます。
生まれた子供が男子ならば、天童である可能性があるとされ、子供は「神の子」として丁重に育てられましたが、ある程度の年齢が来ると本当に「神の子ども」なのかどうかの吟味が行われました。
もし、子どもに特別な才能がないとわかったとすると、この子は神の子ではないと判断されて、生け贄として海の神に捧げられたといいます。
優生学的発想もあるようで、特別な能力(霊能力にかぎらず優れた才能の持ち主)を秘めた者だけが、神に仕える人物としてふさわしいと考えられ、共同体の代表として、念入りに選抜されたのです。
民俗学の研究によれば、生け贄とは 産まれたときから初なままで養育され、何の罪穢れも知らない無垢な状態の人間、動物を希少価値のあるモノとして神に捧げることを意味します。
人間も神なる自然から産み出されてくるモノであり、その神の怒りを鎮めるため、あるいは加護を得るために、もっとも貴重なモノ=人間を捧げたと思われます。
犠牲にされた人間の魂は、神なる自然に還っていき、それがまた巡り巡って共同体に恵みを与えるという思想がありました。
共同体全体の運命を左右しかねない重大な事態に陥ったとき、その局面を打開するために一番大切なモノを捧げること、すなわち人の命を捧げることを古代人は行っていたのかもしれません。
さてーーー
「オソロシドコロ」とは、自然のエネルギーの集中する場所であり、霊能力を身につけるための儀礼の行われた聖地だったようです。
この地は、生命エネルギーを増幅する意味を持った場所でもあったようです。
さらにーーー表八丁角は、葬地でもあったようです。
死期の迫っている者は、現在の「オソロシドコロ」あたりに横たえられます。
やがて、死体は鳥や獣、ウジ虫、バクテリアに食い荒らされ白骨化していいきました。
死者の身体は山の神に捧げられ、その魂は祖霊化して氏神になっていきます。
山の神の使いとは、龍良山に生息している鳥獣、昆虫の一切です。
墓地、葬地とは古代の霊魂観では決して穢れの場ではなく、むしろ神聖な場(祭場)だったといいます。
八丁角が「オソロシドコロ」(恐ろしい祟りのある所)と畏れられたのは、そこが氏神化した死者の魂が住まう聖地であり、人間の生死に関わる重要な儀礼の行われた場所だったためかもしれません。
「オソロシドコロ」の道案内をしていただいた宿のご主人の話では、以前「雑誌『ムー』の取材のときにも同行したそうです。
地元の人間にしか解らないような途を進み、「普通はここを曲がってしまい、到着できないのだ!」と言っていました。
確かに間違いやすい分かれ道がありました。
雑誌『ムー』の取材の時には、なぜかチャッターが下りず、何度やってもダメだったことがあるーーーとも、言っていました。
聖地なので、撮影すら拒絶するところ、との思いが伝わるエピソードです。
クルマを降りて、いよいよ徒歩で「オソロシドコロ」に入ります。
川の水は ひじょうに清浄です。
この「水」を、イメージで体軸の崩れている人の口入れました。
速効で 身体の歪みがなくなりました。
鳥居があって、「表八丁角」の入り口となります。
この手前と、鳥居の中ではエナジーが変化して、「結界」があることが解りました。
中に進むと、さらに鳥居があります。
良好なエナジーが満ち溢れています。
このような途を、さらに進みます。
するとーーー傾いた鳥居が現れました。
ここが「表八丁角」です。
ここから先は、さらに見えない「結界」が張られています。
女性は、全員が一瞬 躊躇しました。
「女人結界」です。
この聖地は、女性の立ち入りを拒絶するのです。
通称は「天童法師の墓」とされていますが、そのような反応はありません。
太陽系のエナジーです。
「パワースポット探索の会」メンバーは、口をそろえて、「白山」と同じようなエナジーを感じるといいました。
白山の山頂エリアは、「女人結界」がありました。
ここにはーーー
このエナジーは強烈です。
一般人なら、耐えることが難しいほどに、強烈なエナジーがあります。
ここに そのエナジーを取り込みました。
ほとんどの方は、同調できないほどの強烈なパワーがありました。
このエリアは 「女人結界」が敷かれています。
白山山頂では、「女人結界」の問題は、その地下に鎮まる「白山十一面観音菩薩」様との同調で解除しましたが、そのような仕掛けがあるのでは・・・・と、探しました。
この石灯籠は、「女人結界」を解除する効力が認められました。
超過敏なゾネスなどは、顔が青ざめていたのが回復しました。
すぐそばに「御神木」がありました。生きています。
「金龍菩薩」様のように反応しました。
手で触れて「そのエナジーを吸収する」というだけでなく、自分の身体に蓄積している「老化物質」「不要物質」を、その「御神木」が吸引してくれるかのように反応していました。
不思議なのですが、この「御神木」は女性を受け入れるのです。
男性が 自分の身体に蓄積している「老化物質」などを、吸引してもらおうとしても 拒絶されるのです。
「御神木」から、エナジーを吸収するだけならOKとなるのです。
ここでは、鳥居までは 正面を向いたままで下がります。
鎮座する神に対して、背中を向けることは避けなくてはならない暗黙の規律(きまり)があるのです。
その時にセットすると、強烈なエナジー体の存在が感知されます。かなりの高波動です。
数十体ものエナジー体が、我々を見守っていました。
このとき、我々一行の動向を監視するかのようなエナジー体の反応は 消えています。
1300年の長きに渡って、「禁足の地」が存在する「オソロシドコロ」には、まだまだ「恐ろしい」「人が立ち入ってはならない」「これからも守り続けるべき地」があるように思われます。
我々は次のパワースポットへと向かいました。
つづく
2018年5月22日記