根来寺その1
「根来寺」とはーーー
そして、秀吉に敵対して雑賀攻めを招くこととなったのです。
近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに 秀吉方に抵抗しますが各地で敗れ、天正13年(1585年)、秀吉軍は根来寺に到達。大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼け落ちたのです。
その後、紀州徳川家の庇護のもと主要な伽藍も復興され、また、東山天皇により覚鑁上人に「興教大師」の大師号が下賜されました。
このような経緯を経て、現在の「根来寺」があるのです。
入り口のすぐ傍に「案内所」があります。
そこの方が、「今日は、不動堂でゴマ供養があります」と言っていました。
まだ始まる前ですので、不動堂には後で行くことにして、まず本堂の見学に参ります。
波動は高いです。
画像に いくつもオーブが映り込んでいます。
高野山は、在地領主の子弟の多くが、僧となって治めていました。
覚鑁(かくばん)は、仏法興隆を目指して、僧侶の学問の場としての「伝法会」復興に取り組みました。
「伝法会」とは、空海の弟子が残した春秋に行う教学の会のことです。
高野山では、すでにすたれて久しいものでした。
この学問所としての「大伝法院」は、鳥羽上皇の支援を受けて、建立されました。
そしてーーー密教の「身(しん)」「口(く)」「意(い)」の三蜜成仏の真言密教の教えも、それを理想と説きながら、そのうちの何か一つを熱心に学び念ずれば、成仏への道が開けるーーーという「一蜜成仏」を説きました。
そのような背景がって、「大伝法堂」に踏み込みました。
「生きている」反応を示します。
右側に「金剛菩薩」
これも「生きています」
左側に「尊勝仏頂尊」
これも「生きています」
これら三像は、いずれも国宝です。
本堂に入って驚いたのは、「全ての像が生きている」ということでした。
これは、通常ではほとんど見られません。
かなり高波動の寺院、仏閣であっても、「全てが生きている」との反応はありません。
高野山でも同じです。
ただ、本シリーズで「目黒不動12年に一度の御開扉」のときに、本堂内の全ての像が「生きている」との反応を示しました(公開終了後は、通常の状態に戻っていました)。
それ以来の体験でした。
そのために、「根来寺は凄い!」と感動したのです。
ですが・・・・・なぜそうなるのかは、後で知ることになりました。
まだ早いので、誰もいません。
いや、実際には多くの方々が、根来寺には来場していたのですが、ほとんどが不動堂の「ゴマ供養」に参加していたようで、本堂には我々以外には 誰もいませんでした。
我々は、一心不乱に感謝の意を「大日如来」に捧げました。
そのとき、この画像の右下に映る台座が妙に気になりました。
「伝法大会(でんぽうだいえ)という教義研修の成果を問う論議(討論会)のとき、問答者がこの台に登ります」と書かれています。
勿論、ここに座っては 失礼に当たることは重々承知しています。
が、・・・・・なぜか座りたくなりました。
座ってみると、もの凄く身体が反応します。
高波動に包まれて、本尊「大日如来」様と一体化しました。
ブルっと 身体が震えるような感覚がありました。
そこに、「散杖(さんじょう)」がありました。
これは、器に入った浄水を散布するもので、法要を行う際に、その「空間」と「身体」を清浄にするための木製の棒です。
そこで、私もそれを真似て、「パワースポット探索の会」の面々に、「散杖(さんじょう)」を当てがって、エナジーを注入してみました。
感触が良く、私も欲しくなり、いつか良好な柳の木などを見つけて、自作してみたいと思いました。
そしてーーーその「散杖(さんじょう)」を頭部に当てて、高波動エナジーを注入して、まさにそれだけで清浄な身体に整えることができるように、なりたい!――――このような夢を持つにいたりました。
国宝「大塔」
高さ40M、幅15Mの木造で、日本最大の多宝塔です。
多宝塔とは、二層になっていて、初層は方形で、上層は円形です。
内部は、四点柱が立ち、それぞれ四方向に仏像が安置されています。
ここは「撮影禁止」です。申し訳ありません。
これは、その側面です。
内部の全ての仏像は「生きている」という反応はありませんが、波動は良好です。
ここの空間にいると、心身ともに落ち着きます。
大師堂です。
内部は・・・・
「身代不動参道」とあります。
「きりもみ不動尊」を本尊として、江戸時代に建立されました。
交通安全・厄除け祈願の「身代わり不動さま」として有名です。
内部には、「きりもみ不動尊」が安置されています。
かなりの高波動です。
波動が高いのは、お不動様だけで、堂内のエナジーはマイナス波動です。
堂内での 一般参加者の欲望やエゴなどが、渦巻いているからかもしれません。
人が多くて、堂内には入れませんので、丘に登ることにしました。
つづく
2018年12月27日記