《 宮古島のパワースポット その3 》
大神島(その2)と友利のあま井
大神島は、港のある南側に集落があり、集落以外の島内の多くは「聖域」とされていて、島民以外は立ち入りが禁じられています。
島民ですら、立ち入れない聖域もあるようです。
今でも秘祭・祖神祭(ウヤガン)が行われていて、秘祭の関係で、外部からは島への立ち入りが出来ない時期があります。
島民でも、御嶽(うたき)には男性は立ち入ることが出来ません。
祖神祭(ウヤガン)を行う島の老女は、御嶽(うたき)に籠り、5日間一睡もせずに、ひたすら神に祈りを捧げ続けるそうです。
島の歴史は口承が中心で、まだまだ未解明なところが多いようです。
「遠見台(トゥンバラ)」を目指して、この階段を登ります。
その先に、大神島で最も重要なエリアがあります。
大きな岩に「拝所(ウガンジュ)」があります。
樹の根が絡まった岩に、「神が降臨」するところで、大神島で最も重要な神事を行う場所です。
島内の巫女が執り行う秘祭・祖神祭が行われるところで、老齢の巫女たちが「御嶽(うたき)」に籠り、5日間一睡もせずに、水と塩だけを摂って、神と交わりを続けるそうです。
祖神祭の神事の期間は、観光客はもとより、島民も立ち入ることができないようです。
ここが「神が降臨」するところです。
この時のチェックでは、「島神(産土の神)」のような反応でした。
「遠見台(トゥンバラ)」からの眺望。
絶景でした。
心が洗われる気がします。
海岸線に出ました。
この道を進みます。
海が綺麗です。
曇天で、時々霧雨が降っていました。
大神島には、いくつかの伝説があって、そのひとつに―――
道路を造る作業中に、邪魔な岩を取り除いていると、作業員達の体調が不良となり、重機まで壊れたので何かあると思い、その岩を元に戻して迂回すると、無事に作業を終えることができた、といいます。
すると海岸線の近くにーーー
波動の良好なエリアがありました。
近づくと、ここは「御嶽(うたき)」のようです。
大神島には、何か所も「御嶽(うたき)」があるようです。
恐らくここも・・・・島民以外は立ち入れないところかもしれません。
神聖な雰囲気が溢れているところでした。
老齢の巫女たちが「御嶽(うたき)」に籠り、神と交わりを続けるということですが、ここ以外の最も神聖な「御嶽」で、神々と交信するのだと思われます。
このような神聖な場所は、人が自分の都合で手を加えることが、出来ないものかもしれません。
ここにいると、大神島の伝説の意味が少し解ったような気がします。
こうして「大神島」からフェリーに乗り、宮古島の本島に戻りました。
その日は、ホテルに戻りました。
まだまだ行くべきパワースポットが多くあります。
翌日―――
野城泉(ヌグスガー)
「ガー」といわれる「飲料水」の汲み取り口のあるスポットに行きました。
洞窟から水が流れ出ています。
昔は、「島」では貴重な「飲料水」を確保するために、ここまで来て「水」を汲んでいたのだと思われます。
今では、道路の横にあって、水を汲み取る方はいませんが、大切な記念碑として保存されています。
次に、「鍾乳洞」を目指しました。
中原鍾乳洞
人の気配がしません。
この日は、鍾乳洞は休日で、閉まっていました。残念!
さらに島を巡り、海岸線に出ました。
「なりやまあやぐ発祥の地」
「なりやまあやぐ」とは、妻が夫を諭す教訓のことで、宮古島では古くから知られている民謡として残されているようです。
この地の近くにある「友利のあま井」を巡る遊歩道の案内版です。
ここの海岸線は絶景でした。
美しい砂浜と・・・・
美しい入り江に沿って行く遊歩道は、心が洗われます。
しばらく歩くと―――
「友利のあま井」(ともりのあまガー)の記念碑があります。
ここには、当時の婦女子の日課が、ここの「井戸(ガー)」で水をくむことだったようです。
この近隣では、貴重な飲料水を得るのに、「井戸(ガー)」で水を汲む必要があり、毎日幾度もこの「井戸(ガー)」を往復したようです。
ここは洞窟の底に「井戸(ガー)」があり、深いので大変な重労働であったと思われます。
そのため、昔はどんなに好きになった男性でも、この近隣に住んでいることが判ると、「井戸(ガー)」で水をくむ日課があるので、嫁入りを断念したとも云われています。
ここが入り口です。
洞窟は深いです。
かなり深いです。
このような階段を下っていきます。
さらに下ります。
うす暗くなってきます。
ようやく地底に辿り着きます。
明かりがないので、よく見えません。
昔は、明かりもない暗い闇の中で、井戸水を汲み上げていたのだと思います。
見上げると、ここまで降りてくる「井戸(ガー)」の深さが解ります。
このような深い地底まで降りてきて、「飲料水」を汲み取る作業を、毎日繰り返していた昔の生活は、大変だったと思います。
現代に生まれてきて、つくづく「良かった!」と思わざるを得ません。
その後・・・ここには、ポンプが設置されて(昭和30年)、洞窟から水を汲み上げることができて、地底まで降りて水を汲む重労働から解放されたといいます。
今では勿論、宮古島全域に水道施設が整って便利になっています。
「友利のあま井」は、この歴史を子々孫々に伝えていく県の有形民俗文化財になっています。
次に、我々は伊良部島を目指しました。
つづく
2021年8月24日記