《 熱田神宮から伊勢神宮への旅 4 》
「日本最高波動の地」から、夕暮れが迫っていましたので、「下宮」の本殿に向かいました。
その後、閉門近くに「外宮の本殿」をお参りして、感謝の思いを捧げました。
そして、その日のホテルに引き上げました。
翌日―――
まず、「伊雑宮(いざわのみや)」に行きました。
伊勢神宮は、内宮―外宮―伊雑宮の3か所がそろって、オリオン座の中心の星座の神威を示します。
「伊雑宮(いざわのみや)」です。
神殿の屋根には、千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)があります。
千木(ちぎ)とは、両サイドの尖った屋根を指します。
鰹木(かつおぎ)とは、屋根の棟木に対して直角に据えられた丸太のことです。
この千木(ちぎ)を見ますと、「女神」となっています。
鰹木(かつおぎ)も6本で、偶数ですので、「女神」を示します。
外削ぎは祭神が男神であり、内削ぎは祭神が女神になっていると言われております。
「伊雑宮(いざわのみや)」は、伊勢神宮の別の宮ですので、祭神は「天照大御神」ですので、「女神」となります。
この千木から、霊気が浮き上がっていました。
超過敏なゾネスがこのことを指摘しましたので、確かによく見ると「反時計回り」の霊気が立ち上っていることが確認できました。
このあと―――
「伊雑宮(いざわのみや)」の背後の地へ踏み込みました。
(本来は、立ち入りは許されておりません)。
関係者の皆様、申し訳ありません。深謝いたします。
この背後の地は、かなりの高波動なのです。
ここは、「三本杉」で、この周囲の遺跡を回るために表示されている地図に載っています(「三本杉」と表示されています)。
ここの後方の地―――「伊雑宮(いざわのみや)」本殿の後方に当たります。
ここが強烈な波動があって、私を引き付けているのです。
ここの次元は変わります。
そのために、通常のシャッターを押しても、ピンボケの画像になります。
このエリアの地下に、日本の過去―現在―未来を握る可能性を示す「石柱」が埋まっていると思われます。
名峰「白山」の山頂に埋まっていたと伝わる「石柱」です。
なぜ、この地に埋められたのか―――詳細は不明です。
この後、伊勢神宮の「内宮」に行きました。
ここに来ると、多くの若い方が参拝に訪れているので、いつもホッとします。
次世代を担ってくれる若い方々が、こうして「伊勢神宮」に感謝の念を捧げて頂いているので、日本の将来を任せていける―――このように思われるのです。
ここは宇治橋を渡って、左側に行くとある「地」です。
ここも波動は良好です。
このエリアの先は、内宮の山の頂に繋がります。
この先の山頂エリアに、超高波動エリアがあるように思います。
その後―――
内宮の宇治橋のエリアにある駐車場の近くにある「宇治神社」に久々に来ました。
この神社の波動も良好です。
「内宮」は、いつも混雑しますが、ここはひっそりとしています。
「足神さん」とあります。
ここの神社は、足の「疲労平癒を祈れば、必ず加護在り」といわれ、多くの陸上選手や足の悪い人が訪れる神社です。
ここには、草鞋を献ずる慣例があるといわれています。
本殿の隣には、「式年遷宮」の地があります。
伊勢神宮に倣っています。
本殿は、かなりの高波動です。
拝殿の後方に、「本殿」があります。
ここには草鞋が献上されています。
草鞋を履いて各地を巡り、無事に帰れたことを感謝して、ここ「足神さま」に献上したものと思われます。
「撫石(なでいし)」です。
自分の身体の「悪いところを撫でて、この石にその波動を移して、治そう」というものです。
ここでは、足の悪いところを撫でて、それを「石」に移して、足の平癒を祈るようです。
当然、身体の悪い箇所が転写されていますので、マイナス波動ですから、我々は誰一人として触れませんでした。
この後は―――
クルマで湾内を一周して、次の最終目的地を目指しました。
これは「竹島」です。
400M先のこの島に、目的地があります。
「八百富神社」です。
「八百富神社」とあります。
階段を登ります。
さらに階段を登って、その上を目指します。
ここは「宇賀神社」です。
それほどの波動ではありません。
「八百富神社」とは、通称「竹島弁天」というようです。
ここに「市杵島姫命(いちきしまぎめのみこと)」のエナジーは反応を示しませんでした。
あまり期待もしていなかったので、「まあ、しょうがないかな・・・」程度でした。
これまでに、あまりにも高波動の最高波動の「地」を訪ねてきましたので、どうしても凡庸感は否めませんでした。
海側に出ます。
こうして・・・・この後は帰路につきました。
了
2023年9月12日記