生命体エナジー浄化の会ブログ

「生命体エナジー浄化の会」というホームページのブログです。

安房神社 その1

《 安房神社 その1 》

  2022年の3月末日に、房総の「安房神社」に行きました。

時節柄、周囲は陽気にあふれるようになり、「この時期に行くべき!」と反応したので、さっそく出掛けました。

 

房総のパワースポットにはかなり訪れていますが、「安房神社」には行っていませんでした。

 

期待できそうな反応が伝わってきます。

 

官幣大社 安房神社」とあります。

 

安房神社」は、千葉県の房総半島の南端部の吾土山(あづちやま)山麓に鎮座する神社です。

 

伝承では、神話時代に阿波地方(現在の徳島県)から渡ってきた忌部氏(いんべうじ)による創建といわれています。

 

安房」の国名は、この阿波忌部に因んでいます。

 

安房神社」は、全国でも数少ない「神郡」が設置されたことなどから、中世以降は安房の国の「一宮」となっていて、明治維新後も社格制度の最高位の「「官幣大社」に位置付けられています。

 

そのような経緯から、官幣大社 安房神社と表記されているのです。

 

参考までに―――

 

「神郡」とは、古代に一郡全体を特定の神社の所領・神域として定めた郡のことです。

この「神郡」は、全国でも8郡しかありませんでした。

 

伊勢神宮」のある伊勢国多気郡、「香取神宮」のある下総国香取郡、「鹿島神宮」のある常陸国郡、「出雲大社」のある出雲意宇郡、「熊野大社」のある紀伊国名草郡、「宗像大社」のある筑前国宗像郡の8郡です。

 

入口の「一の鳥居」です。

ここには、結界が張られています。

 

この「一の鳥居」は、「女人結界」です。

ここを通過するすべての女性が浄化されますので、体軸が乱れます。

 

この日は桜が満開でした。

枝が横に伸びて、桜の回廊をあるくような気持ちになります。

 

階段の上に、「二の鳥居」があります。

ここには、「男人結界」が敷かれています。

 

ここを通過する全ての男性が浄化されますので、一時的に体軸が乱れます。

 

この近くに、このような壁があります。

特に何も反応しいていません。

 

近くに池があり、桜と調和しています。

 

さらに進んで、「二の鳥居」を通過します。

 

ここを通過することで、全ての人が浄化されます。

そのために、一時的に体軸が乱れます。

 

このように、「一の鳥居」から「二の鳥居」があって、ここの参道を通過する全ての人が浄化されるところは、かなり霊格が高いことが判ります。

 

手水舎です。

霊格の高い割には、ここは平凡な感じがします。

 

 

「日露戦役記念碑」です。

 

日露戦争」では、初めて白人種を黄色人種が打ち破った歴史的な快挙となりました。

これにより―――

 

白人種に自分の国を植民地化されて、「我々は絶対に白人には勝てない!」と思い込んでいた国の人々は、「我々でも・・・もしかしたら白人に勝てるかもしれない!」との思いを、東洋人に植え付ける契機になりました。

 

安房神社の本殿です。

良好な波動が伝わってきます。

 

ここが「上の宮」と呼ばれる本殿・拝殿です。

背後の「山」も、波動が良好です。

 

安房神社の創建は、今から2670年以上も前、神武天皇の御代にまで遡る―――という説もあります。

 

神武天皇の命を受けた 天富命 (アメノトミノミコト)は、豊かな土地を求めて探索して、四国の阿波を経て、黒潮に乗って房総半島の南端にやって来たというのです。

 

この天富命が、祖先にあたる神様 天太玉命 (アメノフトダマノミコト) と天比理刀咩命 (アメノヒリトメノミコト)をお祀りしたのが、安房神社の起源だという説です。

 

天富命(アメノトミノミコト)も、安房神社の「下の宮」の御祭神としてお祀りされています。

 

 

本殿の屋根から、高波動の「霊気」が立ち上っていました。

反時計回りの霊気です。

 

房総の「一宮」神社であることが、このことから伺えます。

 

この「安房神社」は、参道からこの周辺全体が「ご神域」で、「いやしろち」です。

波動が高く、この地にいるだけで身体に良好なエナジーが入ってくる「地」です。

 

そのためなのか―――この「安房神社」は、「日本三大金運神社」の一つとして有名です。

 

金運アップの三大パワースポットは、その他に山梨県の「新屋山神社」と石川県の「金釼宮」です。

 

「新屋山神社」については、本ブログでも紹介しています。

 

主祭神は、天太玉命(あめのふとだまのみこと) と忌部氏(斎部氏)の祖神です。

ここは「拝殿」で、本殿はこの後ろにあります。

 

主祭神天太玉命は、あらゆる物を生み出す力を持った産業創始の神。 物作りのほかに、商売繁盛・企業隆昌・事業繁栄などのご利益があるとされています。

 

この神社には、「相殿神」として、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)が祭られています。

その他に、忌部氏の五部神があります。

これには―――

出雲忌部の祖となる櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)。この神は装飾・美術の神です。

阿波忌部の祖となる天日鷲命(あめのひわしのみこと)。この神は紡績業・製紙業の神です。

紀伊忌部の祖となる彦狭知命(ひこさしりのみこと)。この神は紡績業・製紙業の神です。

讃岐忌部の祖となる手置帆負命(たおきほおいのみこと)。この神は林業・建築業・武器製造業の神です。

伊勢忌部・筑紫忌部の祖となる天目一箇命(あめのまひとつのみこと)があります。

この神は金属鉱業の神です。また、クリエイティブな方や起業される方の神です。

 

このようなことから、あらゆる職業の人の金運アップにつながることから、「日本三大金運神社」の一つとなっているのです。

 

このとき、拝殿の中では、宮司が祭りごとをしていました。

 

このときの宮司は、不思議なほど軸のとれた正常な状態になっていました。

この本殿を離れると、通常の軸のとれていない状態に戻ります。

 

やはり・・・・この正殿の前にいると、高波動の影響で、身体の体軸が整って、浄化・浄霊されるようです。

 

このことが、「安房神社」が安房国の「一宮」であることを示しています。

しかしながら―――

 

この拝殿・本殿には、主祭神である「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」もなども忌部氏(斎部氏)の祖神などのエナジーは感知されませんでした。

 

五部神である出雲、紀伊、阿波、讃岐、伊勢、筑紫などの「祖神」も反応しません。

 

そこで、「次元」を変えました。

すると―――主祭神である「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」もなども忌部氏(斎部氏)の祖神などのエナジーなどが浮き上がってきました。

 

つまり、通常の参拝では、その別次元にある「神々」との対話はできないようなのです。

そこで、この画像の「次元」を変えました。

(この画像は、9次元にセットしています)

 

これで、本殿にいます神々に、自分の姓名を名乗り、感謝の意をお伝えすることができるようになります。

 

拝殿の裏に回り、「本殿」を見ます。

「本殿」です。

 

安房神社」は、「安房坐神社(あわいますじんじゃ)」といって、「安房に鎮座する神の社(やしろ)」の意味になります。

 

天太玉命(あめのふとだまのみこと)神社」が、忌部氏の出自とされる大和時代奈良県橿原市に鎮座しています

 

ここが、忌部氏本宗の氏神とされています。

 

さて―――

安房坐神社(あわいますじんじゃ)」とは、その皇后(妃神/妻神)を祀る神社とされています(諸説あります)。

 

具体的な神格を巡っては『古語拾遺』・『先代旧事本記』の記述を基に諸説がありますが、現在の安房神社由緒では、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を指すとしています。

 

確かに・・・・天太玉命(あめのふとだまのみこと)」のエナジーが浮き上がってくるのです。

 

この天太玉命(あめのふとだまのみこと)」のエナジーに対峙しますと―――

 

仙骨」から高波動のエナジーが流れ込んできます。

仙骨」とは、大地から人体に「生命エナジー」が流れ込んで来るところです。

 

仙骨は「セイクラム」といって、「聖なる骨」を表します。

全身200個以上の骨細胞をコントロールする骨こそが、「仙骨」なのです。

 

そのことを見知った上で、この9次元にセットした画像の中に入り込みますと―――

 

身体の中に、生命体のエナジー(生命力)が染み渡ってくることが感じ取れると思われます。

 

安房神社」は、本殿・拝殿を「上の宮」といいます。

そして、摂社を「下の宮」といっています。

 

ここは「御仮屋」です。

細長い構造です。

 

「御仮屋」とは、それぞれの「神輿」を納める場所のようです。

 

この中に―――

伊勢神宮遥拝所」があります。

 

安房神社」は、本殿・拝殿を「上の宮」といい、摂社を「下の宮」というのは、伊勢神宮の「内宮」と「下宮」に倣っているという説があります。

 

 

熊野神社

隣は「大石神社」です。

 

つまり、この中に「熊野神社」「大石神社」の「神輿」が納められていることになります。

 

 

「相濱神社」となりは、「布良崎神社」です。

 

「河宮神社」です。

 

 

「八坂神社」となりは、「日吉神社」です。

 

 

この後、さらに異次元の世界へと誘われていきました。

 

              つづく

 

          2023年10月31日記