生命体エナジー浄化の会ブログ

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吉野路紀行 その2

《 吉野路紀行 その2 》

壺阪寺―金峰山寺吉野神宮丹生川上神社下社―天河弁財天―丹生川上神社中社

壺阪寺 その2

 

壺阪寺に来ています。

「眼病封じ」に効験のある本尊「十一面千手観音菩薩」と、いよいよご対面となります。

 

これが壺阪寺の本尊「 十一面千手観音菩薩 」です。

かなりの高波動です。

 

係員の方がいて、この先は別料金がかかりますが、躊躇なく中に入りました。

うれしいことに、「写真撮影」がOKです。

 

かなりの高波動ですが・・・・「眼病封じ」と謳っていますが、その効験はどうなのか?

試してみました。

 

私は「老眼」です。

チェックすると―――

水晶体を調節する「毛様体筋」が十分に機能していません。

この画像は、さらに高波動次元に変換させたものです。

 

この画像と一体化して、私の「毛様体筋」にこの画像の波動を取り込みました。

すると―――確かに「毛様体筋」のマイナス波動は消滅していました。

 

このことから、清少納言枕草子に「寺は 壺阪・・・」と載せられていて、

平安時代に、京都の清水寺が「北法華寺」と呼ばれるのに対して、壺阪寺は「南法華寺」と呼ばれていて、長谷寺と共に、古くから観音霊場として栄えていたとうのが、分かるような気がしました。

 

頭部に「十一面」の菩薩が載り、「千本の手」(千手)があるので、「十一面千手観音菩薩」となっています。

 

ここでの御真言は「おん ばさら たまら きりく」とあります。

この御真言は、千手観音菩薩真言ですから、十一面観音菩薩の「オン ロケイジンバラ キリク ソワカ」の御真言は見られません。

 

下の手の上に、王冠のようなものが載せられています。

これは、

当初からあったものとは考えられないので、後年置かれたと思われます。

それほどの波動ではありません。

 

 

「夫婦観音」とあります。

残念ながら「生きていません」。

 

地蔵菩薩」です。

これは、「生きています」。

 

地蔵菩薩」の本体は、大地の精霊である「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」です。

「日本国の創健」に関わる神なので、その実態はかなりの高波動です。

 

「眼病封じ」を祈願した方々が奉納したもののようです。

 

その他にも、この内部のエリアには多数の仏像がありました。

中でも「秘仏荒神(こうじん)」があり、扉は閉じられてましたが、その中のかなりの高波動でした。

 

弘法大師」です。「生きています」。

この他にも、創建703年の壺阪寺から出土した「瓦」などが陳列されていました。

 

本堂から外に出ます。

 

「めがね供養観音」

3Mの高さの像です。

 

これは、インド渡来の「天竺渡来 佛伝図レリーフ」です。

これが通路の壁一面に描かれています。

 

なかなか立派なレリーフが、石板に刻まれています。

 

釈迦如来が亡くなったときのレリーフのようです。

人々が悲しんでいます。

 

両足の先が揃っていますので、「亡くなった」ことを表わしています。

「眠っている」のであれば、両足の先はすこしズレて、揃っていません。

 

タイやミャンマーなどで多くの寝佛を視ましたが、その違いを学びました。

 

「天竺門」を通過します。

 

階段の上に、「大観音石像」がうっすらと見えてきました。

 

巨大な観音像です。

インドから運ばれた石材で造ったもので、高さ約20m、総重量1,200トンの壮大なものです。

 

この経緯については、次のように書かれてています。

「インドハンセン氏病救済の御縁で、南インドのカラカラの3億年前の古石が、インド政府より提供されたもので、66個に分画されて彫刻されたものが日本に運ばれたものです」

この彫刻には、7万人ものインド人石工が参加したとあります。

 

その足元には―――

11体の子供の像がありました。

何を示しているのかは、判りません。

 

ただ、巨大な「観音像」に守られていますので、「安心して、すくすくと育っていく」ように思われます。

 

観音像の裏側に回ります。

とにかく巨大な石像です。

 

何か、強烈なエナジーが石像から発散されています。

それは・・・・観音様ではなくて・・・・・地球の、大地から浮き出てくるエナジーのようです。

 

石像から、直接そのエナジーを吸引しました。

もの凄いエナジーがあります。

 

全員が、たっぷりと地球からのエナジーを頂きました。感謝感謝

 

階段を下ると、そこに大観音像の石材を切り出したときに余った石材で、少し小さい「大観音像」の「手」が造られました。

 

この「大観音像の手」は、ここで直接触れて、「大観音像」の温かいエナジーと同調してください、という意味のことが書かれています。

 

釈迦如来の「天竺渡来 大涅槃石像」がありました。

「涅槃」とうので、「入滅」した時で、すでに悟りを開かれていましたが、そのまま亡くなられた時のお姿を石像にしたものです。

 

これも「天竺渡来(インド)」のもので、「釈迦如来石像」です。

 

このエリアには、また多くの石像があります。

 

仁王像です。

生きてはいませんが、なぜかここにも足元に、小さな幼児がいます。

 

一字金輪曼荼羅」とあります。

 

一字金輪」とは、密教の最高位にあります。

めったに目にすることがありません。

 

大日如来の智拳印を結んでします。

その周囲をグルリと多数の神々が取り巻いて、「曼荼羅」を構成しています。

 

「釈迦如来石像」の前にも、仏教を守る多くの石像が鎮座しています。

 

我々は、壺阪寺の規模に圧倒されたまま、次の今回のメインの目的地である「吉野の金峰山寺」を目指しました。

 

                   つづく

 

            2023年12月12日記