《 吉野路紀行 その3 》
壺阪寺―金峰山寺―吉野神宮―丹生川上神社下社―天河弁財天―丹生川上神社中社
金峰山寺(きんぷせんじ)
金峰山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野山にある金峯山修験本宗(修験道)の総本山の寺院です。
開基(創立者)は役小角(えんのおずね):役行者(えんのぎょうじゃ)といわれています。
かつては「山下(さんげ)の蔵王堂」と呼ばれていました。
金峯山寺の所在する吉野山は、古来より桜の名所として知られ、南北朝時代には「南朝」の中心地でした。
「金峯山」とは単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方二十数キロメートルの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称です。
吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、平安時代以降は「霊場」として多くの参詣人を集めてきました。
吉野・大峯の霊場は、和歌山県の高野山と熊野三山、およびこれら霊場同士を結ぶ巡礼路とともに、世界遺産「紀伊山地の霊場」の構成要素となっています。
吉野の山々
「黒門」です。
「黒門」とは、金峰山寺(きんぷせんじ)の「総門」です。
このことは吉野山全体の「総門」でもあります。
この「黒門」では、昔は公家大名といえども、槍を伏せて馬を降りて通行した、という格式を誇っていました。
ちなみに「金峰山(きんぷさん)」とうのは、吉野から大峰山の峰続きを指して、修験道の聖地を指します。
その「総門」が、この「黒門」なのです。
「金峰山寺銅鳥居(かねのとりい)」です。
銅鳥居と書いて「かねのとりい」と読みます。
ここは、聖地への入口で、俗界と聖地の境界を象徴する建造物となります。
吉野から大峯山(山上ヶ岳)までの修行道には発心門、修行門、等覚門、妙覚門という、悟りへの4つの段階を象徴した門が設定されていますが、そのうちの「発心門」にあたるのがこの鳥居です。
鳥居の柱が蓮台の上に立っているのは、神仏習合の名残りです。
東大寺大佛を鋳造した際の余りの銅で造ったという伝承がありますが、現存するものは室町時代の再興です。
「行者堂」です。
吉野ですから、昔から多くの修験道の行者が関わっていたと思われます。
このとき(2023年4月)は、仁王門が改修工事中でした。
この仁王門は国宝です。
「後醍醐天皇尊稲荷」とあります。
後醍醐天皇とは、第96代天皇であり、「南朝」の初代天皇です。
後醍醐天皇は、吉野に立て籠って、「北朝」の足利尊氏と対立しましたが、その名残だと思われます。
この中から、凄まじい「霊気」が漏れてきます。
「邪念」を抱いているような方は、中に入ることを嫌がると思います。
体軸が歪みます。
中に入ると―――
このような像があります。
数本の「手」がありますので、千手観音系なのでしょうか。
しかし、顔が怖いですので、観音様ではないようです。よく判りません。
いよいよ、今回の旅の目的のひとつである「蔵王権現」(金剛蔵王権現)と対面します。
金峰山寺(きんぷせんじ)の本尊が、蔵王堂に安置される「蔵王権現立像3体」です。
巨像として有名で、中尊は約7Mの大きさで、普段は非公開(秘仏)であることから「日本最大の秘仏」と称されます。
現在の蔵王堂は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の寄進によって再建されたものです。
この巨大な秘仏は、豊臣秀吉が発願した京都の方広寺大仏を手掛けた、南都仏師の宗貞・宗印兄弟が製作しました。
このことは,胎内の銘から知られています。
「秘仏」ですので、写真撮影は許されていませんでしたが、懸命に画像を撮りました(申し訳ありませんでした)。
「金剛蔵王大権現」です。
凄まじい迫力です。圧倒されます。
私は、これほどの迫力のある像に、お目にかかったことはありません。
ただただ、感動しました。
参考までに申し上げると―――
仏像は憤怒の顔相で、真っ青な顔に金色の目が光り、炎をまとって片足を上げて威嚇する恐ろしい姿です。
しかし、
金剛蔵王権現は、「釈迦如来」「千手観音」「弥勒菩薩」の仮の姿であり、それぞれ「過去」「現在」「未来」を表わすものとされています。
つまり、
過去から未来に至るまで、人々を救済するために現れた「仏様」なのです。
拝むことで、あらゆる邪気と災厄を祓って浄化を得られ、どのような願いでも聞き届けられるので、人生に活力や平和がもたらされると云われています。
とは言っても―――
よこしまな邪念を持つ方は、この前に出ますとすくみます。
マイナス波動の方は、ことごとくこの「金剛蔵王大権現」の前に立つだけで、身体が歪みます。
もの凄い霊力があります。
これだけの強い「霊力」を持つ仏像には、めったにお目にかかることはありません。
少しでも「よこしまな邪念」が生じただけで、全身が歪みますので、その人が正しいことを言っているか否かを判断するときの、目安にもなりそうです。
だから―――
政治家やあるいは芸能人がテレビの前で発言した内容に、偽りがあるか否かの判断にも、この画像は有効に働きます。
真実を述べていれば、歪みませんが、虚偽があれば身体が歪みます。
何か重要な判断を迫られたときに、相手をこの画像の中に入れて、同じ発言をしたとしてチェックしますと、正確に真実か否かが判るかもしれません。
これも「蔵王権現」のようです。
この御真言を唱えて、「金剛蔵王大権現」をイメージしただけで、他者が送ってくる「邪念」を振り払う効力があります。
「誰かの・・・・念をうけている・・・・」
と感じたときに、この御真言を唱えますと、振り払うことができると思います。
これも「蔵王権現」のようです。
しかし、
本尊の迫力には、遠く及びません。
もう一方には、同じく「釈迦如来」を中心に、「弥勒菩薩」などが並んでいます。
「神変大菩薩」とあります。
この号は、「役行者」のことです。
役行者(えんのぎょうじゃ)の呼び名で広く知られる役小角は、7世紀前半に今の奈良県に生まれたと伝わります。
大和国と河内国の境にある葛城山(現在の金剛山・葛城山)で修行し、様々な験力(超人的能力)を持っていたとされる伝説的人物です。
日本には、役行者開創を伝える寺院が数多く存在します。 『続日本紀』の文武天皇3年(699年)の条には、役小角が伊豆国へ流罪になったという記述があります。
このことから役小角が実在の人物であったことは分かりますが、正史に残る役小角の事績としては『続日本紀』のこの記事が唯一のものですので、彼の超人的イメージは修験道や山岳信仰の発達と共に後世の人々によって形成されていったものとされています。
金峯山寺は役行者が創立した修験道の根本寺院とされていますが、このように役行者自体が半ば伝説化された人物であるため、金峯山寺草創の正確な事情、時期、創立当初どのような寺院であったかなどについては、明確には判っていないようです。
ともかく―――
吉野の修験道の聖地ですから、「役行者」を祀るのは「当然かもしれません。
しかし、この像は「生きていません」。
そこでーーー次元を変えました。
この画像は高次元に変換しています。
片足で立った時の「金剛蔵王大権現」像です。
この同じ像が、私の調整・治療ルームにあります。
この像は「生きています」
私の調整・治療ルームにある「金剛蔵王大権現」像は、この像を反映しています。
本堂を出ますと、全体が「オーブ」に包まれていました。
「天満宮」とあります。
とくに波動が高いわけではありません。
この後、帰路の途中にある「吉野神宮」に向かいました。
つづく
2023年12月19日記