生命体エナジー浄化の会ブログ

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ダ・ヴィンチの絵画 その3

≪ ダ・ヴィンチの絵画 その3 ≫
 
11-11-9
 
ローマ・バチカン宮殿にある天井画―――ミケランジェロの「最後の審判
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観ているだけで首が疲れた記憶がありますが、この絵からは、まったく高い波動が感じられません。
人々が 恐れおののく内面の感情的、精神的なものが、何も伝わってこないのです。
 
審判を下す「神」(中央)に焦点を合わせても、そこに描かれた波動は、決して高いものではありません。
 
この天井画を描いたミケランジェロを、この中から引き出して診ると―――
 
彼以外の 複数の人間が混在してしまい(この天井画は、幾度も修復されています)、正確なことが解らないので、
 
他の彫刻から 作者のミケランジェロの霊体(エネルギー体)を引き出してみました。
 
すると―――
 
最後の審判」に全身全霊を打ち込んで描き上げても、満足しきれていなかった、という反応が得られました。
 
世の中の評価では、ダ・ヴィンチではなく、自分(ミケランジェロ)が バチカン宮殿の天井画を描くことになったことで、高い評価を得ていると、勝者としての自負がありながら・・・・・
 
心の奥底では―――ダ・ヴィンチの描く画像に秘められた「天才」を、いやでも認めざるを得なかった・・・・ようなのです。
 
自分の描く人物像と ダ・ヴィンチの人物像の内奥の深さの相違は、作者自身の精神波動の相違に 行きつくようです。
 
天才ミケランジェロは、大天才への嫉妬と羨望の情を押し隠して、激しいライバル心を燃やして、大天才へ 挑戦状を叩きつけるつもりで描きあげたようなのです。
 
そして―――
 
天才は、大天才の前に ひれ伏すしかなかった・・・・という結果に終わり、満足できなかった情念が、ミケランジェロから伝わってくるのです。
 
 
天才と謳われたエジソンの研究所に、ある大天才が ヨーロッパからやってきました。
しかし、エジソンは その彼を冷遇した・・・という逸話が、思い起こされます。
 
天才は、ニコラ・テスラという世紀の大天才に嫉妬したのです。
しかし―――
 
世間の評価では、エジソンは「大発明王」としてあまねく知れ渡っていますが、ニコラ・テスラは 世の中では 抹殺された人物に過ぎません。
 
 
話を ルネッサンス期にもどします。
 
この画像は、ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」です。
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修復を幾度も繰り返して、この絵が 現在まで残っていること自体が、奇跡に近い―――とさえ言われています。
 
聖書によるイエス・キリストが、処刑される前日に、12人の弟子と最後の晩餐をする場面です。
 
「この中に、裏切り者(ユダを指す)がいる・・・・」と述べた、まさにその瞬間を描いています。
 
中央のイエス以外は、見事に前頭葉から 苦悩する「メンタル・ストレス」の反応が伝わってきます。
 
いや、正確に表現すると―――
 
左端の人物(バルトロマイ)は、イエスの言葉を もう一度聞き取ろうとして立ちあがった姿で、イエスが語った内容が解らずに、ストレス反応は示されていません(内臓に、ストレス反応はありません)。
 
右端の人物は、イエスの言葉が聞き取れず、となりの二人から イエスの語った内容を教えてもらうところであり、前頭葉にも内臓にも 何の反応も示しておりません。
 
だが、彼に教えようとしている二人の人物からは、「驚き」「悲しみ」「不安」「恐れ」など・・・・様々なメンタル・ストレスが交錯する内面が、浮き上がっています。
 
解りづらいですが・・・・
 
左から4番目の人物が、銀貨30枚を報酬として受け取った 裏切り者のユダとされています。
 
まさしく、イエスの言葉に「恐怖」と「不安」の心情がキャッチされます。
 
 
エスの右側・となり(向かって左側)の―――身体を傾けた人物は、使徒ヨハネといわれています。
 
ですが―――
私には、「マグマダのマリア」にしか思えないのです。
 
絵を拡大すると、モナリザに似ています。前頭葉に「悲しみ」の心情は浮き上がっていますが、すべてを達観しているかのような―――そんな表情をしています。
 
この壁画は、後世に幾度も修復されていますが―――
 
驚くべきことに、このように損傷が激しい壁画からさえも、生命体のエナジー(エナルギー)が浮き上がってくるのです。
 
ミケランジェロの「最後の審判」からは、修復に関わったあまたの人物と 彼の思念波動が混在してしまって、よく解らない・・・・ものとは、明らかに異なります。
 
天才ミケランジェロが 心底嫉妬し 敗北感を持っていたようだ・・・・と 反応してくるのが、解るような気がします。
 
それほど、ダ・ヴィンチの描く絵画には、霊魂までをも描き込んでいる―――
超絶な技量があると思われるのです。
 
 
さて、
なぜ・・・・「使徒ヨハネ」とされる人物が、「マグマダのマリア」とするのかを、述べなくてはならないと思われます。
 
もうひとつ、
 
では・・・・使徒ヨハネは、この絵の中に描かれていないのか?―――という疑問がわき上がってきます。
 
実は、「最後の晩餐」には、「謎の手」とされる 一本の不可思議な「手」が、描き込まれているのです。
 
今日に至るまで、この「謎の手」は 解明されていないようなのです。
 
                           つづく