生命体エナジー浄化の会ブログ

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ダ・ヴィンチ 宇宙人交流説

≪ ダ・ヴィンチ 宇宙人交流説 ≫
 
レオナルド・ダ・ヴィンチについては、「芸術とスピリチュアル」で「ダ・ヴィンチの絵画」シリーズを、22回に渡って連載してきました。
 
今回は、その異説に触れてみたいと思います。
 
20歳を過ぎたダ・ヴィンチは、彫刻家のヴェロッキオの工房で修業を積んでいたといいます。
 
ここでのおよそ2年間のときに、師のヴェロッキオの筆になる「受胎告知」の絵画を描きあげています。
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受胎告知
 
この絵画の左側の天使を、ダ・ヴィンチは描いているのです。
これは彼の描いたモノに「間違いない」と、専門家の意見は一致しています。
 
確かに、この天使だけは「高波動」です。
間違いなくダ・ヴィンチの描いたものだと納得させられます。
 
この絵画は、1989年に徹底的に調査されました。
すると―――
 
師のヴェロッキオの描いた部位には、絵の具に「乳化剤」として顔料に混ぜて描いていました。成分の中に「鉛」が含まれています。
 
ところが、ダ・ヴィンチの描いた天使は、「レントゲンに映らなかった」のです。この天使の部位が、透けてしまったのです。
 
明らかに ダ・ヴィンチの使用した絵の具は、師のヴェロッキオの用いた絵の具とは、異なっていたのです。
 
 
ダ・ヴィンチは 若い頃から自然の中で育ちました。特別な学校教育も受けていないのです。
 
多くのスケッチ画などが残されていますが、自分のことに関してはほとんど記録に残していないのです。
 
その中で ほぼ唯一といえることは、「洞窟を発見した」というものでした。
その洞窟がどこにあって、どんなものであったかも記されていません。
 
ただ、ダ・ヴィンチは1476年から1478年の3年間は、その痕跡が全く残されていないのです。何をしていたのかも判らないのです。
 
現在、この空白の3年間に 「異星人とコンタクトしていたのではないか」とされる見解があるのです。
 
というのは、その空白の3年間とは、画家として注目され始めた頃のことなので、本人にとって大切な時期にありましたが、その時期が どこで何をしていたのかが、まったく判らないのです。
 
そして―――
 
1478年、フィレンツェに戻ってきたダ・ヴィンチは、それまでとは全く違う活動を開始しているのです。
 
イタリアの街の地図も 従来のものとは全く違う正確無比なものに仕上げています。
 
その当時よりも 500年も先立つロボット工学に基づくロボットを造り、ヘリコプターの基礎や、特殊兵器などの考案をしていました。
 
まさに現代にも通じる様々な分野での活動が開始されたので、まさに「大天才」と呼ぶにふさわしい人物でした。
 
そのあまりにも先進的なアイデアを示したが故に、ダ・ヴィンチはその空白の3年間に異星人と接触して、様々な機械工学などを「目」にしていたのではないか―――と いわれているのです。
 
そこで、レオナルド・ダ・ヴィンチの霊体とコンタクトして、このことを問いただしてみました。
 
あなたは、1476年から3年間は どこで何をしていたのか、教えてください?
 
「その当時、別の世界(別次元)、それはおよそ500年後の世界にいた。
 
自分の感覚では 『3週間ぐらい いたように思うが、元の世界に戻ると、およそ3年経っていた。』」
このように反応します。
 
その別次元の世界にいたときのことが、数々のアイデアなどの基礎になっている・・・・と、いうことですか?
 
「そうだ。そして2度とその別の世界には戻ることは出来なかった・・・。」
 
このような意味のことを伝えています。
 
やはり―――ダ・ヴィンチの大天才といわれる多岐にわたる先進的な能力の裏には、別次元にコンタクトしていたようなのです。
 
その当時の500年後の世界とは、現代の1900年代の世界に相当します。
 
その世界の事象とコンタクトすることによって、新たな見聞を広めて、当時としては まったく斬新なアイデアを持った様々な機械工作物を作り上げたのかもしれませ。
 
それ故、今なお「大天才」と呼ぶにふさわしい人物として、人々の尊敬の対象となっているのかもしれません。
 
ダ・ヴィンチの絵画」シリーズの中で、ダ・ヴィンチの描くデッサンひとつをとっても―――例えば、「手」のみのスケッチ画―――その人体の描かれていない臓器から器官にいたるまで、正確に反応を示す・・・・このように述べました。
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これに反してミケランジェロの絵画では、その人体の臓器・器官はまったく反応を示しません。その内奥までを捉えていないのです。
 
ダ・ヴィンチバチカンの地下に籠り、1513年から1516年にかけて死体解剖をやり続けた、といわれています。

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死体解剖は公にされると「死罪」になる可能性がりましたが、深く人体を追及することの欲求が強く、死体を買いあさったといわれています。
 
この3年間の記録には、見つかったときのことを恐れてか、有名な「鏡文字」を使って描かれています。

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鏡文字について、ダ・ヴィンチの霊体に尋ねてみました。
「なぜ、鏡文字を使っていたのですか?」
 
予想では、一般に言われている「当局の手が自分に向けられたときに、他者が見ても理解できない文字にした」というものでした。
 
だが―――その答えは、意外なものでありました。
 
「それは・・・・鏡文字によって、空間に鏡を意識することによって、『霊界』に繋がることができるからだ・・・」
 
このように反応します。
 
「鏡」とは、本質的に霊的な次元のものと関わりがあるようです。
「鏡」は異次元とコンタクトする時に、使用することが多いようです。
 
鏡の2対をお互いに向けていると、その空間は「霊」の影響を受ける可能性があります。
 
鏡を2つ用意して、これを互いに向かい合わせると、その空間にはマイナス波動が浮かび上がってきます。
 
したがって、寝室などでこのような鏡を対にして設置している場合には、『霊』の影響を受ける可能性がありますので、注意をするのが賢明です。
 
例えば―――
 
まだ成長していない前世を記憶を残しているような子供の場合、「鏡」を見ると魔界に繋がる可能性があるので、注意しなくてはならないと、昔から言われています。
 
「むやみに子供に鏡を見せてはいけない」と、いわれているのには、このような理由があるようです。
 
ダ・ヴィンチは 空間に鏡があることを意識するだけで、異次元とコンタクトすることができた―――このように反応しています。
 
つまり、ダ・ヴィンチの有名な「鏡文字」は、他者の目をごまかすだけのものではなくて、自分自身が異次元とコンタクトする手段の一つであった、ということのようなのです。
 
ダ・ヴィンチは、すべてイメージだけで 「鏡に映る物体(文字)」を見て、対象となる物体も 自由に操作することができたようです。
 
そのような過程の中で、「その異次元空間から情報を引き出して、様々なアイデアやヒントを得ていたのですか?」という問いには、
 
「そうだ!」と、応えています。
 
ダ・ヴィンチの「大天才」といわれる所以は、この異次元とのコンタクトに秘密があったかもしれません。
 
大天才といえば―――
 
もう一人の人物が浮き上がってきます。
 
                     つづく
 
                2015年7月24日記