生命体エナジー浄化の会ブログ

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ヒマラヤの聖なる山

《 ヒマラヤの聖なる山 》
 
2012-3-15
 
ネパールの旅で―――
 
ポコダという街に泊まり、夜明け前に 暗い中を 丘に登りました。 
『日の出』を拝むためです。
 
眼前に 7000~8000M級の峰が連なる「アンヌプリ」が 広がってきました。
 
そのアンヌプリの連山の前に、マチャプュレ―通称「魚の尻尾(Fich Tail)」という聖なる山がそびえています。
 
この丘から見える聖山は、まさしく「神の山」として、スイスのマッターホルンと見間違うばかりの 威容を誇っています。
 イメージ 2
標高6,993Mながら、8、000Mを超えるアンヌプリの手前に位置しているので、ひときわ高く見えます。
 
たしかに―――この山は「霊山」です。
現在でも 登山は許可されていませんので、人跡未踏の山・・・・と、なっています。
 
人知れず登頂してしまっている人がいるかもしれませんが、この霊山は 俗人のエナジーで汚すべきではない―――と、反応しています。
 
「神の山」として ネパールでは厳然たる霊山として 崇められている―――というのが、理解できます。
 
私は この山と対面していて、何度も感嘆の声を上げてしまいました。
 イメージ 1
 
写真の中からでも、「神の存在」「精霊の存在」をキャッチさせてくれます(お解りいただけるでしょうか・・・・ )。
 
これほど神々しい霊山が国土に在ることは、ネパールの人にとって誇りであろうし、正直 うらやましく思えるものでした。
 
今までに、観光名所の「写真」を買うことなど、考えたこともありませんでしたが、今回は違いました。
 
「写真」だけでなく ポストカード(写真)までも 買い求めました。
 
ホテルに戻っても、「神の山」と一体化できるポイントを 探し回りました。
 
在りました!
 
写真の左側に霊山が見えます。
それにマッチしたスポットが、石段の手前の芝生に在ります。
イメージ 3
 
この位置で、霊山のエナジーと一体化してみると・・・・精霊のエナジーが 全身に染み渡っていくかのような感覚を 味わうことができました。
 
 
もし・・・この霊山に・・・人々が 次々と踏み込んでいくようになってしまったら・・・・
 
遠い昔―――
 
21日間自由に急行列車で 北海道内を回れる「均一周遊券」というのがありました。
 
ザックを背負って一人旅に出かけました。私が19歳の夏休みのときです。
 
この旅では、「大雪山(旭岳)」「十勝岳」「利尻富士」の三山を登るのと、北海道の一周が目的でした。
 
その当時の知床半島には、横断道路などもなく、ほぼ未開の地でした。
クマが多く、一人で横断するのは危険なので、船で回ったことを覚えています。
 
途中、帯広から 北海道で最も標高の高い場所に在るという文字につられて、バスで「然別湖(しかりべつこ)」に向かったのです。
 
途中はガスってきて、帯広の町が一望できるという場所にバスは止まりましたが、誰一人として 降りて景色を観る―――ことはありませんでした。
 
何も見えないし、うすら寒い感じで、「来るんじゃなかった!」と もの凄い後悔の念に襲われていました。
 
宿は 予約はしていましたが、駅で寝たりするなど、倹約に努めての旅行でした。稚内では 駅の待合所で寝ていたら追い出されて、仕方なく公園の乗り物の中で寝ていたら、夜中にアベックが乗り込んできたり・・・・
 
そんな旅でしたので、バス代を支払った自分を、ひたすら攻めていました。
 
然別湖は、カルデラ湖です。頂きを越えると・・・・火口湖に向かって降りていきます。
 
その途中―――
 
ガスが晴れてきて、川に沿って走るバスから 信じられないほど綺麗な風景が開けてきました。
 
光が差し込んできて、湖が見えるようになると 乗客のほぼ全員が「ワーッ!」「あーッ!」言葉にならない歓声が上がりました。
 
19歳であったその時の・・・私の人生における最高に感動した展望でした。
 
湖の上を雲が流れていき、ボートに乗っている人の姿が、次々と消えたり 現われたりしていました。
 
さっそくボートに乗って、泳いでみました。
 
その当時、小さなカルデラ湖でしたが、水深は200Mと記憶していました。
岸から2M離れると足がつかないのです。深く潜って見上げると、水面にボートの影がゆらゆらと揺れて見えるのです。
 
次の予定があるので、引き返さなくてはならなかったのですが、このときほど湖畔でキャンプしている人たちを、羨ましく思ったことはありませんでした・・・・。
 
その後、友人たちには「新婚旅行には、然別湖に行くといい!」と やや興奮気味に説明を繰り返していました。
 
その中の一人は、東京人の定番であった「熱海の新婚旅行」ではなくて、実際に然別湖に行きました。
 
摩周湖では 奇跡的な快晴で、やはり湖畔まで降りてみました。
素晴らしかったので、泳ごうかとも思いましたが、ある女性旅の一人が呟いているのが、妙に耳にひっかかっていました。
 
十和田湖に・・・まさるところは・・・ないわねエ・・・」
 
こんなに綺麗な湖―――摩周湖の透明度は、その当時 バイカル湖と争っており 世界有数のものでした。それを、この一言でかたずけたのです。
 
この時の旅では、夜の11時58分青森発の急行列車に乗り込んで、2分後には21日間の有効期限がきれるのです。
 
私は、自分の持っているチケットと まだ有効期限の残っているチケットと取り替えて欲しいと―――
 
お礼の「お弁当」を持ち歩いて、該当者を探しましたが・・・見つかりませんでした。
 
泣く泣く青森を発ち 東京に戻ったのですが、「十和田湖」への思いは長いこと消えませんでした。
 
東京に戻ると、本屋で『日本の湖』という書が目に留まりました。
すると―――
 
その著者は、日本における湖のベスト10を挙げておりました。
 
第1位 十和田湖
第2位 然別湖(今でも、この湖は知っている方の方が少ないと思います)
第3位 摩周湖・・・でした。
 
 
十和田湖には数年後に行くことになりましたが、奥入瀬渓谷の美しさは失われて、5年ほど前に行ったときには、感動することはありませんでしたし、湖畔の観光地も寂れ切っている・・・・そんな感じしか 残らなくなりました。
 
でも、然別湖が残っている――――はずでしたが・・・
 
その後、といっても20年ほど前になりますが、スピードスケートの選手が合宿する 帯広で指導する機会がありました。
 
このときスピードスケートでは全国にその名を轟かせていた白樺高校にも行きました。
長野オリンピックで金メダルを獲得した清水宏保選手は、このとき高校1年生でした。
 
指導後に、たまには家族サービスでもしようと 帯広に家族を呼んで、レンタカーで然別湖に向かいました。
 
いかに素晴らしいところか―――昔の興奮をもって家族に説明していました。
 
が―――!?
 
どこにも 当時の面影が残っていないのです。
そのエリアにホテルはありましたが、まるで自然とマッチしていないのです。
 
舗装道路ができて 便利にはなっていますが、違うのです。然別湖の美しさは、こんなものではないのです。
 
だからこそ―――『日本の湖』の著者も、無名に近い然別湖を、世界有数の透明度を誇った摩周湖を押しのけて、第2にランクさせたのだと思います。
 
こんなはずはない・・・・私は家族と共に ボートに乗りました。
 
雲の流れる中をボートは消えることもなく、私一人が さも楽しげにボートを漕ぎましたが・・・・
 
「もう・・・帰ろう!」
 
子供が呟き、私も沈黙したまま・・・ボートを岸辺へと返しました・・・・。
 
 
一度、あるがままの自然に 人々が踏み込んでいくと―――取り返しのつかない事態に陥ることの怖さを しみじみと知りました。
 
人が来れば、それを迎える人々も住み始める・・・・。
 
ネパールの人にとって「神の山」である霊山は、高い入山料を設定したとしても、一度でも神聖な地を冒してしまうと、
 
取り返しのつかないものとなってしまうのでは・・・・そんな思いがよぎります。
 
「神」「精霊」の存在を認識させてくれる山は、めったにありません。
 
ネパールの世界遺産など、各地の寺院も観て回りましたが、正直 波動の高いパワー・スポットと思われるところは ほとんどありませんでした。
 
しかし、この霊山だけは別格です。
 
ネパールの国民のためというよりも、世界の人々ためにも、いつまでも人跡未踏の「地」として、遺して欲しい―――そんな気がしています。