「岩戸神社」を後にして、我々はクルマで登っていきました。
すぐに、「皆神神社」の鳥居が見えてきます。
駐車場がありますので、ここにクルマを停めて、徒歩で進みました。
この鳥居は、結界ではありません。
通常、高波動エリアに入ると、まず「鳥居の結界」がって、そこから中の空間のエナジーが変化するのです。
遠くに、神社の山門が見えてきます。
この山門の背後の樹木は、波動が良好な感じがしますので、期待が高まりました。
「皆神神社」は、この山門から結界が張られています。
山門の手前は、普通の空間ですが、山門から中に入ると空間のエナジーが明らかに変化します。
「皆神神社」と書かれています。
「熊野出速雄神社(くまのいずはやおじんじゃ)」のことで、一般には「皆神神社」と呼ばれています。
【御祭神】
出速雄命(いずはやおのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
豫母都事解男命(よもつことさかのおのみこと)
脇座に舒明天皇(じょめいてんのう)・古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)
【御由緒】
奈良時代養老2年(718)出速雄神社を奉祀と伝えられています。
中世以降修験道が盛んとなり、熊野権現を勧請、大日如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三仏を各峰に安置し熊野三社大権現と称しました。
まだ3月ですが、快晴で、遠くに日本アルプスの山々が見渡せます。
山門の上部には、「皆神山」の文字があります。
「皆神山」は、神の山なので、その意識で眺めると、この表示はとてつもない高波動の様相を呈してきます。
今から約1300年前に御神明を奉祀、祈りと信仰の山として、霊験あらたかなりといわれる皆神山に鎮座する熊野出速雄神社は、「皆神神社」と尊称され、広く崇敬されています。
この「山門」には、「女人結界」が張られていました。
そのため・・・・女性の体軸は歪みます。
男性は まったくその影響を受けることはありません。
古来より、女性は不浄なもの(生理がある)とされてきましたので、聖域に立ち入ることは禁じられていました。
その名残が、厳然としてここに現れています。
神社の山門ですので、正式には「神門」となります。
ここの場合は、左右に像がありますので、「隋神門」と呼ぶほうがよいかもしれません。
隋神門の左右に置かれている随身像を閽神(かどもりのかみ)・看督長(かどおさ)と言います。
簡単に、「左大神」あるいは「左大臣」ともいいます。
神門の隋神像です。
この左右の2体とも、台座には「十字」の紋章があります。
なぜ?神社に十字架なのか?
どうやら・・・この皆神山には、イエス・キリストが日本に来て、修行をしていたーーーという伝説が残っているようなのです。
確かに・・・ここの神社は、ユダヤに関わるものが、この先にもありました。
この隋神像を作成した当時の関係者の意図を、解明しようと試みました。
私の勝手な解釈ですが・・・・
確かに、イエス・キリストなる人物が皆神山に来ていたと認めていたようです。
この地で、イエスは 異次元空間にアプローチして、多くの情報を得ていたと考えていたようです。
さてーーー
皆神山は、昔からUFOの目撃情報が多い地と聞き及びます。
その一つの解釈として、皆神山の空間には、低重力域があって、地下には800M×1500Mの広さに、深さ200から400Mの楕円形の陥没構造となっていて、地震は、地下水脈の岩盤の破壊が原因とされたようです。
この重力を軽減する構造体が、竹内文献が述べるように・・・・太古の昔に地球を統一支配していた日本の『天の浮き船(宇宙船)』の発着基地となっていた、との逸話も見られます。
皆神山全体を形作っているのは「ゴロタ石」と呼ばれる石と土砂が混じった土なのです。
この土はいわばスカスカのスポンジのような地質なのです。
そのために静電気が起きやすく、磁界を生じるようなのです。
皆神山は電磁気的にいわゆる「波の穂」と呼ばれる現象を起こし、いわば磁石のマイナスとマイナスが反発するような状態で、宇宙船を弾き飛ばすというのです。
実際、また、太平洋戦争末期、日本軍はなぜか皆神山の中に天皇の御座所を移そうとしたといいます。
ですが、皆神山はいくら掘っても、「ゴロタ石」と呼ばれる石と土砂が混じった土なので、十分な地下壕が造れずに、途中であきらめたーーーとされています。
この時の地下壕跡が残っている、とされています。
我々は、ここには行きませんでした(今では、よく判らないようです)。
さてーーー
その中に、山頂の神社には、小さな沼があるが、その深さは、あまりにも深くてよく判らないーーーこのように書かれていました。
試しに、10Mもの長さの竿を突き立てても、「底に届かなかった」このように書かれていた記憶がありました。
このような看板があります。
川でもなく、山の上にある神社の池に、なぜ「クロサンショウウオ」なのか?
不思議です。
この沼が、底が判らないほど深いとされるところです。
「ゴロタ石」で構成されるスカスカの構造なので、沼底は異常に深まっているのかもしれません。
神門を抜けて、参道を行きます。
正面に、侍従神社が見えています。
その手前に、何かが反応しそうに思われます。
侍従神社
ここには「侍従大神(じじゅうおおかみ)」が鎮座しています。
後に侍従天狗坊と名乗り、皆神山の修験を完成させたといいます。
北は戸隠から、南は皆神山と修験道で長い間栄え、山伏の拠点となっていました。
侍従神社の手前にある、「天満宮」の社。
このエリアは、「男人結界」が敷かれています。
神門に「女人結界」がありましたので、「男人結界」もあって、全ての境内に立ち入る人を浄化するのでは・・・・と、思っていましたが、やはりありました。
立ち入る全ての男性の体軸が歪みます。
浄化されます。
侍従神社の内部です。
奥の本殿は、かなりの高波動です。
確かに・・・・「侍従大神」のエナジーを感知します。
この文字が、「侍従大神」のことを示しているのかは、判然としませんが、手前の空間ではなくて、この奥の空間に「侍従大神」のエナジーが認識されます。
主祭神である「出速雄命(いずはやおのみこと)」は、ここでは感知しませんでした。
主祭神である出速雄命は、当地方開拓の祖神として天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神として崇敬されています。
また、相殿には食物をつかさどり養蚕を守護する女神大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を配祀する。御社殿は、江戸時代後期の天保14年(1843)起工、弘化3年(1846)に竣工しました。
侍従大神は「児育て・寿命・火防の神」として信仰されますので、子供を侍従坊の弟子にさせると、無病息災に育つとされています。
「子育て」の願掛けが多いようです。
この先に、主祭神である「出速雄命(いずはやおのみこと)」を祀る『御社殿』が見えます。
ここから先には、複雑な「結界」が敷かれているように思われます。
過敏な方なら、この先に踏み込むことは できないかもしれません。
「守護神」となっています。
諏訪大社です。
ここには、強烈な「結界」があります。
女性はもとより、全ての男性は歪みます。
侍従神社の手前にある、「天満宮」のエリアには、「男人結界」がありました。
しかし、この「結界」は強烈なものです。
全ての内臓臓器に至るまで、完全に浄化されてしまいます。
鈍感な方なら、恐らく何も感じないかもしれませんが、超過敏な方なら、強いダメージを受けてしまうかもしれません。
それほどの「結界」が敷かれているエリアです。
「天地カゴメ之宮」