≪ 写真分析から裏の歴史を考える 4つづき≫
フルベッキ写真を分析する その2つづき
容量を超えてしまいましたので、その続きです。
この写真に 当時16歳の時の大室寅之祐が映っていることから、この写真は「合成写真である」「ニセモノである」と、言われていたようです。
いや、この写真が在るからこそ―――
それはまた、維新の大改革を成就し、その後の日本を瞬く間に欧米列強と肩を並べるまでに導いた人物達が、若い頃に天下国家を論じたフルベッキを囲む仲間であったからこそ、その大事業を成し遂げることができた、と私は思います。
ただ、フルベッキの本質的な目的は、表面には現われない使命を負っていたようなのです。
さて、フルベッキの息子であるウイリアム(フルベッキの隣りに映っている)は、長崎に生まれ17歳まで日本で育っています。
その後、ニューヨークに渡り 後に陸軍士官学校の校長までになっています。
フリーメーソンといえば、現在の世界も影で動かしている巨大な結社です。
とくに建国当時のアメリカは フリ-メーソン国家でした。
初代大統領のジョージ・ワシントンをはじめとして、大多数の議員がそのメンバーでした。
カソリックは 多くの科学者や哲学者を処刑し、弾圧して、容赦なく葬ってきました。
そして―――
ジャン・メイソン・フェリスは フルベッキの親分格でるニューヨーク在住のオランダ改革派教会の神学博士でしたが、彼の名前から横浜のお嬢さん学校「フェリス女学院」の校名となっています。
そのフェリスに対しては、フルベッキは改革派教会から もともと日本に派遣されたのですから、当然の上司のフェリスに報告する義務があったようですが、
「公開を申し出ることは絶対に出来ません。私がやっていることを公にしてしまえば、この国での私の使命は終わりです・・・・」
との手紙を送っているというのです。
恐らく・・・・このことは・・・・
フルベッキ本人の写真から見出したことでは、「そのとおりである」との反応を得ています。
具体的にはどのような後押しをしていたのか―――
それだけではありません。
フルベッキは、「日本の指導者をフリーメーソンにする」との使命を帯びていたのかもしれません。
日本の外国との不平等条約の更新時期が迫っていた時期、日本はまだ一人前とはみなされない状況下にありました。
これでは条約改正はとても無理であると、思われていたのです。
これについて、フルベッキは膨大な企画書を提示したのです。
その企画書には、予測される外国からの要求と、想定される問答までを 事細かく記したものであったというのです。
これを受けて、他に類をみない一国の首脳のほとんどが日本を留守にして、2年近くに渡ることになった「岩倉使節団」となったのです。
岩倉使節団は 総勢107名で構成された大集団です。
次の写真は、岩倉使節団の主なメンバーです。
この目的は 条約改正が主な目的ですが、国としての認めてもらえるための条件として、
● フリーメーソンになる
ことにあったようなのです。
これはフルベッキの指導によるものである―――と、画像から反応しているのです。
日本も 外国に認めてもらうには、「フリーメーソンになる」という選択肢があって、それを前提として 条約改正を認めさせた―――と、思われます。
日米条約改正のためには、「天皇の委任状」が必要でした。
ともかく 日本の明治政府は、フルベッキの指導によって 問題を解決していったようなのです。
ある意味、フルベッキが日本にもたらした恩恵は、考えられている以上に 多大なものであったかもしれません。
2014年8月23日記