≪ 歴史の裏を読む 小松帯刀 2 ≫
ここには 討幕の思想を持った志士たちが大勢集まってきました。
これで幕府は、わずか1年で神戸の操練所を閉鎖します。
その坂本龍馬や志士を引き取ったのが、小松帶刀です。
薩摩藩家老として、大きな力を持っていましたので、彼らを京の小松帶刀の屋敷に預かります。
これを取り仕切ったのは、小松帶刀でした。
5、60人のメンバーを養うだけでも、莫大な資金が必要ですが、グラバーが援助していたことが解っています。
さらにその背後は、ロスチャイルドがいて、英国が控えています。
幕府側には、フランスがすり寄っていました。
討幕派の薩摩・長州・土佐・肥後藩には、英国が控えている代理戦争です。
幕府には、勝海舟の他にもう一人の人物がいました。
小栗上野介について、少し触れておきます。
英国にしてもフランスにしても、ともに直接乗り込んで自国の兵を失いたくないので、日本の国内で内戦をさせるということで、約束手形で武器を調達したのです。
中国のようにアヘン漬けにして、日本を奪い取る戦略であったのです。
しかし、アヘンは外科手術のモルヒネにする以外では、サムライも一般庶民も手を出しませんでした。
このためーーー英国は、
日本をアヘン漬けにして、内戦で疲弊した時を見計らって、全国を平定するという野望は、頓挫せざるを得ませんでした。
中国の清とは違って、日本にはサムライ(武士)がいました。
生麦事件も起こっています。
これが国際問題に発展して、幕府は大きなショックを受けます。
タタ切ったサムライは、責任をとって即座に切腹しています。
しかし、薩摩藩は 「そんなことには一切関知していない!」としらを切り通しました。
このことは、欧米列強が 中国や他のアジア諸国と異なり、サムライの住む日本では、彼らの思惑通りにことが運ばないことを、痛感させる事件でもありました。
小松帯刀の霊を呼び出して、アヘンについて尋ねました。
Q「英国は、アヘンで中国清をボロボロにしてしまい、侵略の足掛かりにしましたが、あなた方が立ち上げた維新政府は、アヘンの国内持ち込みを許さなかったのですか?
A「英国も、アメリカもアヘンは持ち込んでいた。それは条約で持ち込みが認められていたからだ。
しかし、全ての藩(県)には、アヘンの吸飲は行わないように通達していたし、清がアヘンで滅びることは 皆わかっていた。
また、一定の量までに制限されていて、それを超えると、日本側の判断で処分できるものであった。
だから、医療で用いられる(麻酔用)以外には、ほとんど日本国内には出回らなかったのである」
このように応えています。
Q、「なぜ、アヘンの持ち込みが制限されたのですか?」
「米国との最初の通商条約で、その条項をつけていた。
これは、条約に関わった小栗上野介がいたことと、米国のハリスが、英国に支配権を握らせないために、了解したものと思われる」
このように応えています。
これについては、その当時、アヘンを栽培できるのはインドでした。
そのインドを支配していたのは、英国です。
そこで、日本を支配したい米国は、英国の有利な条項にクギを刺す意味で、条約を調印したものと思われます。
米国と通商条約を結び、同様に西欧諸国と次々と不平等条約を締結していったのです。
これにより、無制限のアヘンの持ち込みには 歯止めがかかりました。
清国の二の舞は踏まずに済んだのです。
長州五傑(ちょうしゅうごけつ)――いわゆる「長州ファイブ」は、
英国留学中は、マセソン商会の創業者ジェームズ・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)が世話役となったといいます。
その碑文では、井上馨は外交の、遠藤は造幣の、山尾は工学の、伊藤は内閣の、井上勝は鉄道の、それぞれ「父」とされているのです。
ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。
いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたことになります。
つまり―――
その日本の指導者の背後に、英国のロスチャイルドが控えるという構図になります。
フルベッキはまた、日本の将来の礎になるであろう人材を育てて、その背後に控えている米国のロックフェラー系のフリーメーソンに関わっていると思われています。
英国系と米国系の両国に関わるフリーメーソンの代理として、日本の維新改革は成し遂げられた と言っていいかもしれません。
初めに日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人(グラバー)は、鎖国政策の幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができませんでした。
そこで薩摩藩・長州藩などの下級武士に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせたのです。
自分たちが教育し、支援した若者たちが幕府を崩壊させて、国を刷新したのです。
この彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。
明治新政府はこのように創設されたのです。
所詮英国(ロスチャイルド家)の後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。
そこで、内戦が起きます。戊辰戦争です。
薩摩と長州を中心に作られた明治新政府を相手に、不満を持つ旧幕府軍が戦いました。
多くの悲劇を生んだ明治初期の内戦です。
ここで容量が超えましたので、「つづき」ます。