≪ ジャンヌ・ダルクの謎を追う その4 ≫
ジャンヌ・ダルクは、実は火刑に処せられていなかった。
フランス国家を救うために、超人的な活躍をした結果、殉教したという史実は、正しくない。 彼女は その後も生きながらえて、幸せな日々を送っていた―――という説を追います。
1436年に領主ロベール・ザルモワースと 結婚した。25歳で復活したジャンヌは、
領主ロベール・ザルモワースの妻「ジャンヌ・ラピセルド・フランス」となったという そのうわさをきいたシャルル七世は、9年前と同じようにジャンヌと対面しましたが、本物と認めざるを得なかった、といいます。
異端裁判で、すでにジャンヌ・ダルクは火刑に処せられており、異端者認定までされていたからです。
そこで1440年 裁判所は、ジャンヌ・ダルクに出廷を命じます。
これには2つの説があるようです。
その一つは、ジャンヌ・ダルクは出廷せずに、失踪して2度と世間の前に姿を現すことはなかった・・・・というものです。
もう一つは、結局 政治的配慮からジャンヌは裁判にかけられ、「偽者」とされたというものです。 その後、故郷に戻り、平凡な幸せな日々を送ったというのです。
では―――ジャンヌ・ダルクが火刑になっておらず、生きていたというのでれば、火刑に処せられたのは、一体誰なのか?―――ということになります。
ジャンヌは、処刑前日にある書類に「署名」しています。
記録に残るジャンヌ・ダルクの署名は、文盲を物語るような つたない「字」ですが、
この時の署名には、ただ「×」の印だけが残されています。
あたかも・・・・処刑された当人は、自分は「ジャンヌ・ダルクではない!」と言っているかのようです。
ジャンヌ・ダルクが暮らしていたといわれるジョルニー城が、今でも残っています。
ジャンヌ・ダルクは フランスの国の誇りであり、英雄です。
恐らく ジャンヌの肖像画も残されていると思われますが、殉教せずに生きていたとなれば、国中に衝撃が走ります。
そこには、ジャンヌに関わる痕跡が残されているはずですが、現在のジョルニー城主は 一切の公開を禁じているのです。
ただ・・・・その人物たちの墓が残っています。
確かに、ザルモワース家の墓が残っていて、そこに関わる協会の祭壇の横には、墓碑銘があったといいます。
墓碑銘には「ジャンヌ・デ・ザルモワース」と 彼女の夫である「ロベール・ザルモワース」とされていた―――と いいます。
ですが・・・・今では、その壁面は セメントで覆われてしまっています。
さらに、100年以上前に、その教会は封鎖されています。
つまり―――ジャンヌ・ダルクに関わるものすべてが、1900年代初頭に隠蔽されてしまっていたのです。
これは、その1907年に、ジャンヌ・ダルクを「聖人」にする運動が推進されていた時期と一致します。
フランス国家のために闘い、「殉教」したという英雄が、必要だったのです。
もし―――ジャンヌ・ダルクが殉教していないなら、国民の士気は低下してしまいますので、ジャンヌが生きながらえていたという痕跡は、消去する必要があったとすると、すべての筋道がとおってきます。
そこで―――ジャンヌ・ダルクの「霊」を引き出して、実際にはどうであったのかを、確かめることにしました。
以下、ジャンヌ・ダルクの霊から聞き出したものです(信じる 信じないは お任せします)。
「(監禁されていた塔から」抜け出すことのができたのは、それを手引きしてくれた兵士がいたからです。」
「助けてくれた兵士は、5人でした。」
「監禁されていた牢獄(塔)を抜け出して、フランス領(シャルル7世の支配地)でCHINON方面に向かいました。」
「その後、隠れていた場所は、4回変わりました。」
「国の状況も安定してきて、平和が訪れてきたので(実際には、まだ100年戦争は続いていました)、故郷の近くに行きました。」
Q: 生活資金が足りなくなって、故郷の兄の許を訪れて、資金の援助してもらった―――というのは、本当ですか?
「本当では、ない!」「兄二人と妹と会ったのは、本当です。」
Q: 領主のザルモワースと会って、結婚したのは、本当なのか?
「本当です。 ザルモワースは(夫)は、私がジャンヌ・ダルク本人だと知って、感激して両手を握りしめてきた。 その後、夫となるザルモワースと、結婚した。」
Q:「その後、シャルル七世は、9年前と同じようにジャンヌと対面したのは?」
「それは――本当です。」
「シャルル7世は、私が生きていることを、恥じるようでした。私を見殺しにしたからです。」
Q: その後の裁判では、あなたが偽者とされたのは、本当ですか?
「それは・・・・筋書き通りの裁判で、私は偽者とされましたので、公然と故郷に戻りました。」
「その後、私には3人の子供ができました。
まず女の子(長女)。次が長男で、次男です。」
Q: あなたには 神の啓示を受けた―――と言われていますが、本当に神が降臨して啓示を受けたのですか?
「これは、本当です。常に神と共にありましたし、神々の意思に従って行動していました。」
Q: それはズーっと続いていたのですか?
「いや、そうではなかった。 私には常に神々の降臨が認識されていましたが・・・・私が処女を失ってからは、神々の降臨が認識されなくなりました。」
Q: それは いつ頃のことですか?
「(異端審問裁判期間にジャンヌが監禁されていた)ルーアン城の塔(後に「ジャンヌ・ダルクの塔」として知られる)に、監禁されているときに、私の処女が奪われて、その頃から・・・・神の降臨が認識できなくなっていきました。」
Q: では、それ以降で神々の降臨を意識できることはなかったのですか?
「神には常に祈っていましたが、ジャンヌ・ダルクとして 戦っているときのような降臨感覚は、その後は2度とありませんでした・・・」
Q: ジャンヌは、大天使ミシェル、聖カトリーヌ、聖マルグリットの姿を幻視し、イングランド軍を駆逐して、シャルル7世となる王太子をランスへと連れて行き、フランス王位に就かしめよという「声」を聴いたというのは、本当ですか?
「本当ではない。フランスからイングランド軍を追い返し、フランスの国を守れ、との幻聴を聞いたのです。」
「フランスの国の存亡の危機に関わるので、フランスを救えとの「声」と、神々の姿を実際に見たのです・・・・」
※ ジャンヌの幻視や神の声を聴いたという神秘体験に関する主たる情報源は、ジャンヌが激しく糾弾された異端審問の記録にあります。
この記録には、ジャンヌ自身が裁判の進行に反抗し、神秘体験に関する尋問への宣誓供述をすべて拒否したことが記されていたのです。
ジャンヌは、異端審問で証言することが、かつてシャルル7世との間に交わした機密保持の誓いを破ることになる、と訴えていました。
これら現存している異端審問の記録の内容が、偏った法廷のでっち上げなのか、ジャンヌがシャルル7世との機密を守るためについた嘘なのかは、わからない―――とされています。
この点を問いただしました。
Q。「異端裁判で、あなたは神を幻視して、神の声を聴いたとされる神秘体験についての尋問には、すべて拒否するとしたのは、シャルル7世との誓いによるものなのですか?」
「そうではない。シャルル7世は関係ない。
神の恩寵に関わることを、公然と尋問されることは、神々に対して失礼なので、
それに関わることは、一切の証言を拒否したのです。」
※ このことは、裏を返せば―――明らかに神の声を聴き、神々を幻視したというのは事実であることのようです。少なくともジャンヌ・ダルク本人は、そう信じていたように思われます。
Q: 「あなたは(ジャンヌ・ダルク)は、何歳まで生きていましたか?」
「私は 43歳で亡くなりました・・・」
※ これが正しければ、1455年となります。
これで―――ジャンヌ・ダルクを終わります。
どこまで、その真相に迫れたのかは判りませんが、その判断は このブログをお読みになられた方々にお任せいたします。
2016年7月4日記