生命体エナジー浄化の会ブログ

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日本三大霊山ー恐山

《 日本三大霊山―恐山 》
――恐山の奥の院「仏ヶ浦」――
 
5月中旬に、男鹿半島―竜飛岬―下北半島三陸海岸を巡る4泊5日の観光旅行に行ってきました。
 
ツアーコースの中に「恐山」があったからです。
 
20年近く前に、東京からクルマで「恐山」を目指して行ったことがあり、「もう一度行ってみようかな・・・」と思ったのです。
 
観光ツアーでは、「恐山」の前に「仏ヶ浦」に行きました。
 
日本三大霊山とは、「比叡山」、「高野山」、そして「恐山」を指します。
恐山はまた「日本三大霊場」の一つともされています。
 
「恐山」は 死者が必ず訪れる場所となっていますが、
この「恐山」の「奥の院」が、「仏ヶ浦」であるーーーとされているのです。
 
この仏ヶ浦は 長い間、地元の限られた人々にしか知られていませんでした。
陸地からでは、断崖絶壁が続くので、海岸まで下りられそうもないようなところです。
陸奥湾口の平舘海峡に面した峻険な海岸沿いに、2キロメートル以上に亘り、奇異な形態の断崖巨岩が連なる海蝕崖地形です。
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緑色凝灰を主とした岩石が、非常に長い間の海蝕を受けた結果形成されたものです。

それぞれの奇勝には、浄土イメージを重ねて「如来の首」「五百羅漢」「極楽浜」などの名が与えられています。

90メートルを超える断崖もあるなど 陸上から近付くのが困難な土地であったので、長らく地元民のみに知られる奇勝であったといいます。

今では、ここの上方に道路があるようで、「駐車場まで15分」との案内看板がありました。 急な階段を昇って15分もかかるので、きつそうです。
 
仏ヶ浦は 国の「名勝」「天然記念物」に指定されて、下北半島の指定国定公園となっています。
 
また平成元年には「日本の秘境100選」にも選ばれていて、さらに平成19年には「日本の地質百選」にもなっています。
 
1793年(寛政5年)に、旅行家・博物学者である菅江真澄が訪れて、歌を詠んでいます。
 
菅江真澄とは、寛政年間に蝦夷地などを探索したり、津軽に長く留まっていたりしていた 今でいう文化人類学者です。
 
小説家の司馬遼太郎氏なども、彼の文献を参照していたようです。
 
その菅江真澄
 
「極楽の 浜の真砂路(まさごし) 踏む人の 終わりに仏 疑いもなし」
 
と詠んでいます。
 
さらに紀行家として名を知られている大町桂月(大正時代)は、その晩年に仏ヶ浦を訪れて、
 
 「神のわざ 鬼の手造り仏うた 人の世ならぬ処(ところ)なりけり」
 
「呆れ果て 驚き果てて仏うた 念仏申す外なかりけり」
 
とも詠んでいます。 これが刻まれた碑があります。
 
仏ヶ浦には高速船で行きます。
外洋に出ますので、船は大揺れに揺れます。
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30分程度で着きますが、この揺れで数時間も乗っていたら、船酔いは必至かもしれません。
 
確かに・・・・仏ヶ浦は奇岩が立ち並ぶところで、
「極楽の・・・終わりに仏」「人の世ならぬ処(ところ)なりけり」といった心情となります。
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仏ヶ浦に 船が近づきます。
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目に 奇岩・怪石が飛び込んできます。
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仏ヶ浦は 良好な波動に包まれています。
通常の体軸の乱れた人も、このエリアに入ると、自然と正常な体軸を回復することができます。
 
奇岩に目を奪われる奇勝地ですが、「癒しの地」ともいえる処です。
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ここも高波動エリアです。
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仏ヶ浦にあるお堂。
ここは、恐山と同じく「地蔵菩薩」が祀られています。
 
仏ヶ浦には、溺死体が流れつくことが多いようです。
そのためなのか・・・・「地蔵尊」が祀られています。
 
また、地蔵尊が祀られていることは、仏ヶ浦を「賽の河原」とみなしているからかもしれません。
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賽の河原
 
賽の河原とは、「三途の川」の河原であり、 親に先立って死亡した子供が、その親不孝の報いで苦を受ける場とされています。
 
そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために 積み石による塔(卒塔婆)を完成させると供養となると言いますが、 完成する前に鬼が来て塔を破壊し、何度積み直しても破壊され、 永遠に終わらないという俗信があります。
 
しかし、最終的には地蔵菩薩によって救済されると言われています。

この世で亡くなった者は 仏ヶ浦を通って旅立つ、という言い伝えもあります。
それは彼岸と此岸の境界、つまり三途の川であり、 その河原が「賽の河原」といわれているのです。

 
地蔵菩薩は、仏教の六道輪廻の思想から、 六道のそれぞれを六種の地蔵(六地蔵)が守護するという説があり、 旅立つ場である葬儀場や、寺(墓所)などに祀られることが多いようです。

 
この仏ヶ浦は 「心霊スポット」として、テレビで紹介されたこともあるようです。

地蔵尊」として祀られているお堂の内部
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お堂の内部には、死者に届けるのか、亡くなった本人が着ていた 衣服や履物が飾られています。
黄泉の国に旅立った「縁者」に、この地から冥福を祈るのでしょうか。
 
 
仏ヶ浦が、死者の赴く地「恐山」の奥の院とされるのであれば、それなりのエリアが存在するのかもしれません。
 
これについてはーーー
 
宗教家(僧侶)の青木慈雲は、仏ヶ浦は「霊界の入口である」としたようなのです。
 
青木慈雲とは、その昔 心霊番組などにしばしば出演し、全国の霊場などを弟子尼僧らとともに、鎮魂行脚を行う様子などが放映された人物です。
 
真っ白なあご鬚を蓄えた独特の風貌、あくの強いだみ声などで、織田無道宜保愛子などとともに お茶の間の人気を博していました。1998年死去。享年69。
 
どこに霊界の入口」があるのか、検証してみました。
 
仏ヶ浦は 総じて高波動エリアですが、不思議な波動を感知するエリアがありました。
 
「霊体」が抜け落ちるのです。
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霊界の入口
このエリアに踏み込みますと、体軸のとれた正常な人が、死者のような反応を示します。
 
ここで容量がオーバーしましたので「つづき」ます。