《 日本三大霊山―恐山 》
――恐山の奥の院「仏ヶ浦」――
ツアーコースの中に「恐山」があったからです。
20年近く前に、東京からクルマで「恐山」を目指して行ったことがあり、「もう一度行ってみようかな・・・」と思ったのです。
観光ツアーでは、「恐山」の前に「仏ヶ浦」に行きました。
恐山はまた「日本三大霊場」の一つともされています。
「恐山」は 死者が必ず訪れる場所となっていますが、
この「恐山」の「奥の院」が、「仏ヶ浦」であるーーーとされているのです。
この仏ヶ浦は 長い間、地元の限られた人々にしか知られていませんでした。
陸地からでは、断崖絶壁が続くので、海岸まで下りられそうもないようなところです。
緑色凝灰岩を主とした岩石が、非常に長い間の海蝕を受けた結果形成されたものです。
90メートルを超える断崖もあるなど 陸上から近付くのが困難な土地であったので、長らく地元民のみに知られる奇勝であったといいます。
今では、ここの上方に道路があるようで、「駐車場まで15分」との案内看板がありました。 急な階段を昇って15分もかかるので、きつそうです。
また平成元年には「日本の秘境100選」にも選ばれていて、さらに平成19年には「日本の地質百選」にもなっています。
小説家の司馬遼太郎氏なども、彼の文献を参照していたようです。
その菅江真澄は
「極楽の 浜の真砂路(まさごし) 踏む人の 終わりに仏 疑いもなし」
と詠んでいます。
さらに紀行家として名を知られている大町桂月(大正時代)は、その晩年に仏ヶ浦を訪れて、
「神のわざ 鬼の手造り仏うた 人の世ならぬ処(ところ)なりけり」
「呆れ果て 驚き果てて仏うた 念仏申す外なかりけり」
とも詠んでいます。 これが刻まれた碑があります。
仏ヶ浦には高速船で行きます。
外洋に出ますので、船は大揺れに揺れます。
30分程度で着きますが、この揺れで数時間も乗っていたら、船酔いは必至かもしれません。
確かに・・・・仏ヶ浦は奇岩が立ち並ぶところで、
「極楽の・・・終わりに仏」「人の世ならぬ処(ところ)なりけり」といった心情となります。
仏ヶ浦に 船が近づきます。
目に 奇岩・怪石が飛び込んできます。
仏ヶ浦は 良好な波動に包まれています。
通常の体軸の乱れた人も、このエリアに入ると、自然と正常な体軸を回復することができます。
奇岩に目を奪われる奇勝地ですが、「癒しの地」ともいえる処です。
ここも高波動エリアです。
仏ヶ浦にあるお堂。
ここは、恐山と同じく「地蔵菩薩」が祀られています。
仏ヶ浦には、溺死体が流れつくことが多いようです。
そのためなのか・・・・「地蔵尊」が祀られています。
また、地蔵尊が祀られていることは、仏ヶ浦を「賽の河原」とみなしているからかもしれません。
賽の河原
賽の河原とは、「三途の川」の河原であり、 親に先立って死亡した子供が、その親不孝の報いで苦を受ける場とされています。
そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために 積み石による塔(卒塔婆)を完成させると供養となると言いますが、 完成する前に鬼が来て塔を破壊し、何度積み直しても破壊され、 永遠に終わらないという俗信があります。
しかし、最終的には地蔵菩薩によって救済されると言われています。
この世で亡くなった者は 仏ヶ浦を通って旅立つ、という言い伝えもあります。
それは彼岸と此岸の境界、つまり三途の川であり、 その河原が「賽の河原」といわれているのです。
地蔵菩薩は、仏教の六道輪廻の思想から、 六道のそれぞれを六種の地蔵(六地蔵)が守護するという説があり、 旅立つ場である葬儀場や、寺(墓所)などに祀られることが多いようです。
この仏ヶ浦は 「心霊スポット」として、テレビで紹介されたこともあるようです。
「地蔵尊」として祀られているお堂の内部
お堂の内部には、死者に届けるのか、亡くなった本人が着ていた 衣服や履物が飾られています。
黄泉の国に旅立った「縁者」に、この地から冥福を祈るのでしょうか。
仏ヶ浦が、死者の赴く地「恐山」の奥の院とされるのであれば、それなりのエリアが存在するのかもしれません。
これについてはーーー
仏ヶ浦は 総じて高波動エリアですが、不思議な波動を感知するエリアがありました。
「霊体」が抜け落ちるのです。
霊界の入口
このエリアに踏み込みますと、体軸のとれた正常な人が、死者のような反応を示します。
ここで容量がオーバーしましたので「つづき」ます。