生命体エナジー浄化の会ブログ

「生命体エナジー浄化の会」というホームページのブログです。

目黒不動12年に一度の御開扉

《 目黒不動12年に一度の御開扉 》
 
 2017年10月25日に、「目黒不動」に行きました。
 
というのは、秘仏である「目黒不動尊」のご神体が、12年に一度御開帳(ここでは開扉かいひ:といいます)されるので、それを「見る」「観る」「診る」「視る」ために、その開扉:かいひ期間に行ったのです。
 
凄いものでした。
とにかく、凄いものでした。
 
その一言につきます。
恐れ多いほどの凄さでした。
 
その当日の様子をレポートします。
 
アジャリンコの情報から、今年(2017年)は 目黒不動が12年に一度の御開扉があることを知りました。
 
そこで、その期間中に皆で一緒に行こうとなったのです。
 
その日の当日、私は午後から一人の調整を行った後、東急目黒線「不動前」駅に向かい、初めて徒歩で「目黒不動」に向かいました。
 
当日は、一日中天気予報は「雨」でしたが、その参拝の間は幸いにも 雨はあがっていました。
イメージ 1

私が到着すると、すでにメンバー全員が揃っていました。
 
左から、ヒサヒサ、タッキー、モリモリ、皇子、その後方にチョン氏、最後列にアジャリンコ、その前にミッチー、その隣がミッチーの奥方(シオリちゃん)、その右後方はカネゴン、右の前列にデーンッと構えているのはゾネス。
 
目黒不動」は、天台宗で泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)といい、大同3年(808)に慈覚大師(じかくだいし)が開創したといわれています。
 
徳川3代将軍家光が堂塔伽藍(どうとうからん)を造営し、それ以来幕府の保護があつく、江戸近郊におけるもっとも有名な参拝行楽の場所となって、明治まで繁栄をきわめました。
 
木原不動尊熊本県)、成田不動尊(千葉県)とともに日本三大不動の1つとなっています(三大不動と称するものは、他にもまだいくつかあるようです)。
 
そもそも「目黒不動」というのはーーー
 
慈覚大師円仁が、夢に出てきた神人を刻んだ像が、その後不動明王と知ってこの地に安置したといいます。
 
大同三年、十五歳の慈覚大師は、伝教大師最澄のもとへ赴く途上、当地に立寄られ、霊夢を見たといいます。

面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持つ誠に恐ろしい形相の神人が、枕上に現れて

『我この地に迹を垂れ 魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。来つて 我を渇仰せん者には 諸々の願ひを成就させん。』と告げられたといいます。

夢覚めた後、その尊容を自ら彫刻されたのが、御本尊目黒不動明王です。
イメージ 2

まず境内入り口には 「仁王門」がります。
 
左右に一対の仁王像が鎮座しています。
イメージ 3

関東最古といわれる通称目黒不動尊には、境内入口の仁王門には一対の仁王像が鎮座しています。この像の由来はーーー

目黒不動尊1945年(昭和20)5月の空襲でほとんどが焼失しましたが、1925年(昭和25)には早くも本堂が再建され、仁王像を再建しようという機運が高まったといいます。

1954
年(昭和29)ころ、近くの和菓子屋『玉川屋』の当時の主人・小川雄一氏が仁王像の再建寄進を申し出、目黒在住の彫刻家・後藤良(ごとうなおし)氏がこの像の制作にあたったということです。

 
この仁王像のモデルとなったのが、私の恩師窪田登先生です。
 
窪田先生は、我が国のフィットネス界の最高権威として、早大名誉教授から吉備国際大学の学部長として、我が国のスポーツ界でウエイトトレーニングを指導してきました。
 
日本体育協会での指導者の養成講習など、全国を回っていましたので、トレーニング関係の指導者の大半は、先生の指導を受けていた、と思われます。
 
私も 取り壊される前までの国立競技場で開催されていたトレーニング指導士養成講習会では、後任を任されて、数十年間にわたって指導の任にあたっていました。
 
先生の指導を受けて 国際舞台で活躍した選手は、膨大な数になります。
2006年には瑞宝中綬章を受章しています。
 
我が国初のボディビルディングの大会で優勝して、初代の日本チャンピオンにもなっています。
 
彼は「自分はトレーニングの方法はすべて知り尽くしている。あとはあなたのようなアドバイスをくれる人物が必要だ」とまで述べています。
 
初代のボディビルディングの日本チャンピオンであったので、窪田先生がこの仁王像のモデルとなっています。
 
そのレプリカもあって、先生のご自宅に飾っていました。
 
その恩師窪田先生は今年(2017年)の8月20日に永眠されました。
ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。
イメージ 4

境内の正面階段の上に本堂があります。
イメージ 5

参加メンバーは、手水舎で手―口を清めます。
イメージ 6

ここの左側には、青龍大権現を祀る垢離堂があります。
 
ここには「独鈷の滝」といわれるものがあります。
銅製の龍の口から流れ落ちています。
 
ここは「水垢離場(みずごりば)」ともなっています。

以前、大晦日で新年の初詣に行ったときに、ヤクザの親分のような方が、ここに入って 水垢離をしていたことがあります。子分が二人ついていました。
 
その左奥は、前不動堂です。
 
開祖の慈覚大師が、密教の仏具である「独鈷(とっこ)」(煩悩を打ち砕く)を投げたところ、たちまち泉が湧き出したという逸話が残されています。
イメージ 7

近年、水量は減りましたが、一年中水が枯れることはないといいます。
イメージ 8

独鈷の滝」をカメラに収めます。
特に波動は高くはありませんが、対面の斜面の一部に 良好なエリアがありました。
イメージ 9

この良好な波動のエリアには、この土地を守っていると思われる産土(うぶすな)の神が反応します(ここの関連は、次回に報告します)。
イメージ 10

男坂といわれる正面の階段です。
 イメージ 11

階段の上の境内に入ると、鳥居がありますが、「結界」があるほど波動は高くはありません。
イメージ 12 
善光寺のように、秘仏と繋がっている綱があって、これを手にすることで秘仏と一体化できるというものです。
イメージ 13

本堂に繋がる「綱」が上空を走っています。
イメージ 14

この薄いベールに包まれた奥に、秘仏不動明王像があります。
もの凄い高波動です。
 
立っていると、身体が前方に引き付けられてきます。
 
これは、どのチャクラも 意識をそこに置くと、身体が前方に傾いて、強烈に牽引されてしまいます。
 
参加メンバーの大半がそれを体験しましたが、タッキーが「判らない!」というので、彼女の太陽神経叢と秘仏を繋ぎましたら、直ぐに前方に傾きました。
 
堂内は写真撮影が禁止となっています。
が、ブログのために禁を犯しました。申し訳ありません。
イメージ 15

神妙な面持ちで秘仏に手を合わせています。
 
全員の体軸は極めて良好です。
イメージ 16 
巨大な木製の「独鈷」
 
一人では持てませんが、これを持つと即効で体軸が整います。
 
参加者が増えてきましたので、「場」を開けて我々は後方に立って拝んでいました。
ただ、係の方に「混んできましたので、他の方にお譲りください」と、注意されました。
 
そこで、ようやく本堂を後にしました。
 
このとき、最近とみに敏感になっている皇子が、「何か反応してきた!」といいました。
「これは何だ!」チェックすると、神的高波動エナジー体です。
 
しかし、この本堂ではないようです。
 
通常、どのような「場」であっても、そこに鎮座する全ての像が「生きている」という反応はありません。
 
神的高波動エナジー体が入った「生きている」という反応は、一部にはあっても、そのすべてに反応することはありません。
 
東寺であっても、高野山の本堂であっても、その全ての像がことごとく「生きている」、という反応は示しません。
 
だが、ここの本堂にある全ての像は「生きている」という反応を示します。
これはーーー
 
秘仏不動明王像」が、あまりにも強烈な高波動であるがゆえに、この空間内すべてに「神気」が満ち溢れて、そのようになったーーーと思われました。
 
我々は 長らく本堂に留まっていました。
 
                                      つづく
 
                                2017年11月23日記