生命体エナジー浄化の会ブログ

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目黒不動12年に一度の御開扉 2

《 目黒不動12年に一度の御開扉 2 》
 
 撮影禁止の本堂の内部は、その全ての像が「生きていました」
このようなことは、極めて珍しいと思われました。
 
秘仏不動明王像」の強烈なエナジーが、本堂空間に満ち溢れていて、全ての仏像が その影響を受けていました。
 
参拝者も、確かにその恩恵を受けることになります。
12年に一度(酉年)だけの、期間限定の御開扉(ごかいし)に来て、「来た甲斐があった!」と、思わせるものでした。
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秘仏不動明王」(薄いベールの奥に鎮座しています)
 
各チャクラを意識しただけで、強烈に前方に引き込まれるので、身体が前に倒れこむようになります。
 
秘仏の前にある「不動明王像」は、通常時はこれのみが公開されているもので、やはり高波動で「生きています」。
 
その昔、私がまだ未熟であった頃に、4次元の竜神に憑りつかれて、その当時の私では対処ができずに、右肩甲骨内側の違和感がどうしてもとれずに、悩んでいたことがありました。
 
註:「竜神」はマイナス波動で、「龍神」が5次元以上の高波動エナジー体です。
 
狐系やヘビ系、あるいは動物霊などは簡単に対処していましたが、「竜神」は当時のレベルでは浄化しきれなかったのです。
 
そこでここの不動明王様と対峙して、「ノウマク・サンマンダ・バザラダンカン・・・」と、不動明王のご真言をつぶやいていると・・・・スーっと違和感が消滅しました。
 
それ以降、ここの不動明王様と同調して、今では強烈なマイナス波動の「黒竜」でも、簡単に浄化・浄霊できるようになりました。
 
そのように、私にとっての御神体のひとつとなっている「不動明王」様は、秘仏の前面に鎮座していて、やはりかなりの高波動でした。
 
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目黒不動尊開創となる「慈覚大師円仁」像
 
私は、この慈覚大師像と同調しました。
このときには、全ての像が「生きていました」ので、不肖この私と同調したのです。
 
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正面左側には、別の神名がありましたが、「降三世明王」様が反応します。
 
これについては、実はこの日(2017年1025日)とは別に、沖縄パワースポット巡りの旅を計画していましたが、台風に直撃されて中止となったので、急遽 再び秘仏の見学にやってきました。
 
このとき「護摩焚き」が行われていて、その後で護摩行を行った僧侶の方が
「オン・ニソンバ・バザラ・ウンハッタ」と繰り返していました。
 
まさに「降三世明王」様のご真言でした。
 
降三世明王」とは、過去・現在・未来の三世と、貪欲・怒り・愚痴の三毒を降伏させる明王です。
 
「東」の結界を守護する明王でもあります。

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本堂右側には、「虚空蔵菩薩」様が鎮座しています。
 
後日、これもメンバー二人に同調することになりました。
 
虚空蔵菩薩」様とはーーー空海お大師様が、「虚空求聞持法」を成就するときに唱えていた真言です。
 
「ノウボウ・アキャシャキャラバラオン・アリキャ・マリボリ・ソワカ」という御真言を、本尊の「虚空蔵菩薩」に向かって百万回唱えるものです。
 
これを土佐の室戸岬の洞窟で修したという伝説があります。
一日約8時間かかるものを、100日間つづけた結願のとき、明星が飛んできて口に入ったーーーと、空海の書『三教指帰(さんごうしいき)』に述べられています。
 
「虚空求聞持法」とは、目や耳から入る全てのものを暗記する行法です。
正確に唱えると、脳の一部が活性化して、一度見たものは決して忘れることがなくなる、というものです。
 
昔の経典は、覚えるのが大変でした。
しかし空海は一度目にしただけで、終生忘れることがなく、膨大な経典のすべてを脳内に刻み込んだと言われています。
 
このブログを書いているファミレスで、小さな子供が二人いました。
脳をチェックしても、特に反応は示しません。
 
試しに「虚空蔵菩薩のご真言」を脳内に注入しましたら、明らかに変化しました。
他の真言では、そのような反応を示しませんが、
 
「ノウボウ・アキャシャキャラバラオン・・・・」という御真言には、明らかに脳の一部が活性化するようです。
 
智恵を授けるという 虚空蔵菩薩の御真言を追求すると、95%以上は活性化していないといわれる 眠っている脳機能を、目覚めさせることができるかもしれません。
 
日蓮もまた、12歳のときに仏道を志すにあたって、虚空蔵菩薩21日間の祈願を行ったとされています。
 
また、京都嵯峨の虚空蔵法輪寺などの他、各地において、今でも13歳になると虚空蔵菩薩様の智慧を授かりに行く、「十三詣り」という行事が行われています。
 
さて、 高波動の神気に包まれたまま、本堂を後にして、本堂の後ろに位置する「大日如来」像のあるエリアに行きました。
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密教における最高神です。 宇宙創造の神ともされています。
天和3年(1683)に造られた銅像です。 かなり大きく立派なものです。
 
このときは「生きている」反応はありませんでした(後日、これは変化します)。
 
この4隅に、「多聞天」「広目天」「増長天」「持国天」があります。
 
それぞれ「大日如来」を中心にして、外側を向いていて、結界を張る形となっていますが、「結界」はありませんでした。
 
皇子が本堂で秘仏と対坐しているときに、何か反応していると言っていたのは、本堂内ではなく、ここの「広目天」とされている像でした。
 
そこには「毘沙門天」様が反応していました。
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毘沙門天」は、夜叉(鬼類)の首領なので、最強の軍神、武闘神としても信仰されて、上杉謙信が信奉したことで有名です。
 
謙信以外にも武田信玄や、楠木正成など武将の守護神ともなっていました。
 
四天王の一尊で、武神・守護神だけでなく、財力の象徴にもなっています。
四天王として安置する場合には、「多聞天」とされることも多いとされています。
 
註:四天王として4隅の一角に安置される場合には「多聞天」とされ、一尊で安置される場合には「毘沙門天」とされるようです。
 
ここでの4隅の四天王では、「広目天」とされる像に「毘沙門天」が反応していました。
皇子の額と、この像が繋がっていましたので、これが同調したものと思われます。
 
この日は、中心にある「大日如来」像にも、東西南北の各方向に安置される四天王像では、広目天」とされる像にだけ、「生きている」毘沙門天が反応していたのです。
 
後日 四天王の反応は全く違ったものとなりました。
 
本堂の秘仏の裏側の正中ラインに、「大日如来」像があって、さらにその後方の正中ライン上に、「地主神」が祀られています。
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この「地主神」は封印されています。
 
とくに高い波動は反応しません。
ですがーーー
 
封印を解き放ちますと、高波動エナジーが出現します。
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高波動のエナジーが反応します(封印解放の画像)。
このとき固定しないと解りにくいですが、神気が浮き上がってきます。
 
目黒不動は 天台宗密教系寺院ですが、なぜ神道系の「地主神」を同列の、それも正中ラインに祀っているのか?
 
「もともと神社があったところに、後からやってきた仏教が立派な寺を建ててしまった」ということのようです。
 
境内には、伏見稲荷豊川稲荷もありますので、神仏習合のよくある光景です。
 
ですが、なぜ正中ラインにあるのかーーー
 
この土地を、本来的に守っている産土(うぶすな)の神に敬意を表しているからと思われます。
 
産土(うぶすな)の神は、この土地の土着神で、この地域の「氏神(うじがみ)」とは異なります。
 
氏神とは、その一族を守護する神で、本来的には、その土地を守る産土(うぶすな)の神とは異なります(今では同意として扱われることも多いようです)。
 
封印を解きますと、「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」様が反応します。
この神は かなり強烈なので、不動明王尊にエナジーが反発するようなので、その地に封印したのではないかと思われます。
 
本堂の秘仏不動明王像と、封印と解いた「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」様は、エナジーが反発してしまうのです。
 
なぜエナジーが反発するのか・・・・これについては、「産土の神」として、このあたりの土地を守護していたのに、最初に許可を求めずに寺院を創建したことにあるのかもしれません。
 
それがために、崖崩れなどの災害に見舞われたので、「産土の神」(地主神)として、改めて祀ったと反応します。
 
前回紹介しました独鈷の滝」のある対面の斜面の一部に、良好なエリアがありました。 ここが「産土の神」(地主神)と反応するのです。
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そして、やむなく「地主神」として、正中ライン上の要所に「封印した」ものと、判断しました。定かではありませんが・・・・。
 
この日(2017年10月25日)の後、10月28日から「沖縄パワースポットの旅」を計画していましたが、台風直撃の影響で中止となりました。
 
その前日には、アジャリンコとカネゴンは、メンバーの家に宿泊していて、早朝の出発に備えていました。
 
が、前日に飛行機が飛ばないと連絡が入りました。
するとーーー
 
タッキーから「それじゃあ、もう一度お不動様を見に行きましょう!」と誘われました。
迷いましたが、時間が空いたので再び「秘仏不動明王像(本尊)」の拝謁に向かいました。
 
                                    つづく
                                 2017年11月30日記