生命体エナジー浄化の会ブログ

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対馬のパワースポットを行く

《 対馬のパワースポットを行く 》
福岡:東長寺対馬:万松院
 
 いつもの「パワースポット探索の会」として、2018年最初の地として選んだのが、「対馬」でした。
 
当初は、私が以前 足立美術館出雲大社などに行ったときに、観光バスで訪れた三徳山が印象深く、そのときは山に登れずに終わっていたので、「いつか行きたい!
と思っている」というので、「そこに行こう」となっていたのです。
 
ところが「対馬のパワースポット」の画像を観て、かなりの高波動なので、「ここは凄いねエ・・・」と言ったことから、急遽対馬に変更することになりました。
 
切符の手配はミッチー。宿はタッキーが行いました。
行きは成田空港からで、帰りは羽田です。
 
で、前日。
「明日は、風が強いので、心配なので・・・・リムジンバスを1本早めます。そのつもりでいてください!」との連絡が入ります。
 
ミッチーの予定表によると、私は田園調布駅を朝の5時18分発に乗ることになっています。それで目覚ましを5時にセットしていました(これで十分に間に合います)。
 
ところが、朝の4時半過ぎに電話が鳴りました。
ミッチーからでした。「起きてますか?」
 
それで、5時8分の電車に乗り、大崎には十分に早く到着しました。
「すでに到着している」と、ミッチーに連絡して、ミッチー宅に泊まっているアジャリンコと二人を待っていました。
 
なかなか来ません。
二人が大崎駅の改札口に姿を見せました。
 
ところがミッチーは、そのままトイレに行って、直ぐに来ません。
成田までのバスの時間が気になりましたが、ミッチーがトイレから出てくるなり、「走ってください」と命令します。
 
慌てて走って、間一髪で間に合いました。
この先が思いやられる・・・・と、思っていましたが、福岡空港に着くとまた
「走ってください!」と、命令がミッチーから発せられました。
 
飛行機が20分遅れて、対馬への乗り換え便がギリギリでした。
一度空港の外に出て、再び保安検査を受けなくてはなりません。
 
東京からの、皇子、ゾネスのソウルメイトに、タッキー、ヒサヒサのやかましコンビ、時々気配を消してしまうというカネゴンを加えた計8人が走りに走りました。
 
すでに大阪から来ていたイッチが、我々が来ないので、不安の頂点でたたずんでいました。
 
結局、間に合わずに、午後の3時過ぎの便となりました。
 
福岡での時間が余ったので、久々に「東長寺」へと向かいました。
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「パワースポット探索の会」のメンバー
左から、カネゴン、イッチ、ミッチーの前列。後列は左からゾネス、アジャリンコ、タッキー、ヒサヒサ、右は皇子。
 
皇子は晴れて大学教授に昇格しました(最年少教授だそうです)。
 
東長寺―――
 
弘法大師空海が、日本で最初に開山した密教寺院といわれています。
イメージ 2


近隣の寺院と異なり、外部の道路から一歩中に入ると、「結界」があって、明らかに空気感が変わります。
 
本堂ではない旧堂には、「聖天」が祭られています。
以前は 福岡での講習の度に立ち寄っていて、「聖天」と同調したことがあります。
 
「聖天」は、ひじょうに穢れを嫌うことから、一般の寺院でも祭ることが敬遠されるほどで、「さわらぬ神にたたりなし」と言われるのは、「聖天」を指すと云われています。

聖天は、7代先までの栄華を、一代でもたらすほどの利益もさることながら、恐ろしい神として畏怖されてきました。

俗に聖天様は人を選ぶといわれ、非道な人間には縁を結ばないし、勤行を一生怠ってはいけないともいわています。

いい加減な供養をすると、かえって災いがあるとか、子孫七代の福をも吸い上げるなどの迷信があります。

老舗の主人が 何か怖いものは、と聞かれ、『一に聖天さん、二に税務署はんでんな』と答えたといいます。

聖天信仰は、三菱財閥を興した岩崎弥太郎や、紀伊国屋文左衛門などが有名です。

正しい行法の伝授を受けず、聖天供を行ったある大学教授が、不思議なやけどを負って死亡した等、最近でも恐ろしさを伝える話が残っているといいます。

聖天が午前中に参拝した人の願いを叶えるために、午前中に参拝した人々の所を廻っているため、午後に参拝すると寺院に聖天がいない、という言い伝えもあります。

そんな「聖天」なので、福岡での講習会の度に寄っていましたが、同調しても「直ぐに、抜ける」と思っていました。
 
が、ついには同調して、私の守護神のひとつとなっています。ありがたいことです。
 
以前は、旧堂の扉は開いていましたが、この日は閉まっていました。

また、本堂(千手観音菩薩)も 以前は畳の上に座って拝めましたが、立ち入りできませんでした。
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中に入れないので、仕方なく 旧堂の隙間から中を撮りました。

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正面の「聖天」は、「生きています」。
「聖天」を祀れるだけの格式のある寺院―――と、言える所以です。
 
本堂の扉の中は、本尊である厨子内の「千手観音」です。
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厨子の扉の中の「千手観音」は生きています。
秘仏なので、本体は直接見ることはできませんが、反応は良好です。
 
ただし、左右の「不動明王」や「空海座像」などは、生きていません。
 
ここには巨大な福岡大仏が鎮座しているので、中国人観光客が バスに乗って大挙して押し寄せていました。 
 
旧堂の扉が閉められていたのも、本堂の中に上がれなかったのも、このことが・・・・原因かもしれません。
イメージ 6
福岡大仏は、木造です。木彫りの木像では、日本最大の大仏といわれています。
 
観光客が多い割には、波動は高いものです。
この波動を保てるのも、東長寺空海を開祖として、格式が高い寺院であることの証(あかし)かもしれません。
 
鎌倉の大仏はもとより、あの奈良の大仏でも、波動はそれほど高いものではありません。
 
ましてや、中国、台湾、タイ、ミャンマーなどの 多くの大仏を観てきましたが、波動が高く感心したものは、ひとつもありませんでした。
 
観光客が多いほど、邪気を落としていきますので、その霊的な垢(あか)に染まってしまい、波動が落ちしまうからだと思われます。
 
この日、中国人の観光バスが来ていて、多数の観光客が訪れていました。
少なくとも、私が立ち寄っていた数年前までは、このような光景はありませんでした。
 
どこまで・・・・良好な波動を保てるのか・・・そのような興味を抱かせました。
 
再び福岡空港に戻り、対馬へと ようやく辿り着きました。
午後の4時半近くでした。
 
予定では、午前中に対馬の北部までクルマで1時間半かけて行き、南部の宿に入るーーーというものでした。
 
時間がないので、近隣のエリアで 波動の高いスポットを探しました。
「万松院」というところが見つかりました。
 
万松院(ばんしょういん)―――
 
元和元年(1615)に宗家2代義成(よしなり)が、初代藩主の父義智の冥福を祈って創建した寺で、創建当初は臨済宗寺院で松音寺と号しましたが、1622年(元和8年)、宗義智法号に因んで万松院と改めたといわれています。
 
1635年(寛永12年)、慈性大僧正の勧めにより、臨済宗から天台宗に改宗します。
正保4年(1647年)、山麓を切り拓いて現在の寺地に移り、以降、宗家累代の菩提寺となりました。


その後数度の火災により焼失したため、今の本堂は明治12(1879)に建造されたものです。安土桃山式の山門と仁王像は焼失から免れた対馬最古の建物です。

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幾多の火災から免れた山門。
オーブが映り込んでいて、高波動な建造物であることが解ります。
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史跡:津島藩主宗家墓所
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ここまでは 参観料(300円)を払わなくても誰でも参観できます。

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参道は、良好な波動です。
山門でオーブが映り込み、高波動が感知されましたので、期待が高まります。
 
いよいよ中に入りました。
 
                              つづく
                          2018年5月8日記