《 皆神山の伝説に迫る 5 》
富士浅間神社の後ろの「穴」から、上方の空間に向かって、エナジー・ラインが立ち上っていました。
皇子は、上空3000メートル位まで行きつくと、
「それ以上、入れない・・・」
このようなことを言っていました。
皇子はまた、この先には「アカシックレコード」にアクセスところがあるのではないかーーーこのようなことも言っていました。
私は、「アカシックレコード」にアクセスするには、その入り口の門番に、ある言葉を発することで許可を得なくてはならない・・・・ということを思い出していました。
私は、さらにその上空の、超高度空間に到達しました。
皇子の反応はありません。
「どうやっても・・・そこを超えられない・・・」
このように、皇子は言っていました。
その超高度な空間は、何とも言えない至境の空間でした。
もし、「アカシックレコード」なるものが存在して、そこにアクセスできるのであれば、人類の すべての「過去」「現在」「未来」の情報が記録されているーーーこのように言われています。
本ブログの「皆神山の伝説に迫る 2」で、なぜ「神門」の左右の「隋神像」に十字架があるのかーーーということで、ここにイエス・キリストが修行に来ていた伝説がある、とする説に触れています。
この隋神像を作成した当時の関係者の意図を、私の勝手な解釈でーーー
確かに、イエス・キリストなる人物が皆神山に来ていたと認めていたようです。
この地で、イエスは 異次元空間にアプローチして、多くの情報を得ていたと考えていたようですーーーこのように述べました。
もし、そういった事実があれば、この空間から「アカシックレコード」にアクセスして、自分の未来も、また人類の「過去」「現在」「未来」の情報を得ていたのでは・・・・このような思いが交錯していました。
ついでながらーーー「アカシックレコード」にアクセスできるとする有名人には、ゲリー・ボーネルがいます。
「アカシックレコード」とは、地球を取り巻く空間にあって、「全ての過去」と「全ての未来」の情報が記録されている、といわれています。
ゲリー・ボーネルは、自分のクライアントの建物が破壊される予知をして、事務所を他の安全な場所に移させた。その後、大地震でその会社は難を逃れたといいます。
彼は『光の12日間』という書籍などを通じて、様々な見解を語っています。
私も、いくつか読んでいます。
ただ、日本では毎年のように巨大地震がどこかで発生しています。
つまりーーーどこかに該当しますので、「大きな地震が来る」ということでは、外れることは、「ほとんどない」といえます。
彼の予知・予言の多くは、当たらないことが多いのです。
だが、それについては、人間の意識によって「未来は変えられる」と言っています。
そうであるなら、「アカシックレコード」にある「未来の情報」は、刻々変化することになり、常に新しい情報にアクセスできないと、正確なことは解らないことになってしまいます。
彼が「アカシックレコード」を読み解いて示したとされるものは、ことごとく外れているーーーこのように指摘されていることは、押さえておきます。参考までに・・・・。
富士浅間神社の後ろには、あらためて確認すると、強い「オーブ」が出ていました。
この上空の、さらに上空の、さらにさらに上空に、その空間はあるようです。
一度では・・・・その空間の凄さは 感知しきれないかもしれません。
またいずれ、いつか皆神山――太古の「地教山」を訪ねなくては・・・との思いが残っていました。
さてーーー
皆神神社は、「熊野出速雄神社」であり、奈良時代の養老2年(718年)に創建されました。
さて、このような経緯を経て 「熊野大権現」があるのであれば、そのエナジーを感知できるエリアが、「まだあるのではないか・・・・」と、さらに探索しました。
クルマに分乗して、怪しげな農道を通り、これまた怪しげなエリアに踏み込みました。
もう一度ここに向かえーーーといわれても、簡単には行きつけないようなエリアでした。
案内板も、何もないエリアを進みます。
さらに農道を通ります。
そして・・・・
皇子が感知したエリアを目指して、分け入りました。
ここが、感知したパワースポットです。
石が積まれた跡が残っていますので、昔は何かの跡地であったかもしれません。
ここに立つことで、反時計回りのエナジーに、身体全身が包まれていきます。
そのスポットは、この画像の中心に位置します。
そのエナジーは、「皆神山大明神」様との反応を得ました。
陰陽14経の全ての経絡エナジーの循環を高めます。
経絡のエナジーが滞っていたり、強すぎたり、また弱すぎたりしていても、全てを正常化するように反応します。
こうして、皆神神社から隠れたエナジー・スポットを巡り、麓の町に入り、遅い昼食を摂りました。
そして・・・残った最後のパワー・スポットに向かいました。
大日堂ですが、現在はその跡地です。
この先に、御神木が残っています。
保存運動を起こして、それを守ってきたことを示す看板がありました。
「国破れて山河あり」「兵どもが夢のあと・・・」
そんな風情が漂います。
この先に、皆神山への正規の登山ルートがあるようです。
我々が来た時も、近隣の住民なのか、水を汲んでいました。
身体が歪んだ方が口に入れますとーーー即効で体軸が整います。
今でも、「皆神山」は 人々の生活のなかで生かされています。
この「皆神山」は、一度来たくらいでは 到底知りえない何かが、まだまだあるように感じていました。
またいつかーーー来ます! ありがとうございました。
了
2019年6月29日記