生命体エナジー浄化の会ブログ

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歴史の裏を読む 小松帯刀その後 8つづき

≪ 歴史の裏を読む 小松帯刀その後 8つづき ≫
 
 容量がオーバーしましたので、その「つづき」です。

 

またーーーフィリピンでのバターン死の行進」があります。
 
食料も水も不足したフィリピンで、75千人にも及ぶ大量の捕虜のうち、7万人もの命を救った行進なのですが、これを率いた日本兵はわずか1万〜12千人―――実に5倍以上の米兵を救ったのです。


被害者である米国やフィリピンでは、「5千人の死者」という部分を強調し、日本人による残虐行為と教えています。

 
硫黄島での米軍の殺戮と、フィリピンでの日本軍の死の行進―――どちらも多くの死者を出していますが、どちらの方が酷かったかは明らかですが、非難を受けるのは日本ばかりで、「日本が悪い」とされています。


勝者であるアメリカが宣言したものが「歴史」となり、敗戦国・日本の主張は聞き入れてもらえないーーーというのもありますがーーー日本では事実を正しく教える教育が行われていない、というのも原因の一つとなっています。


そんな教育を受けた人たちがリーダーとなった結果、日本は「責められたら謝る国」になっていきました。


例えば、バターン死の行進については、2010年、当時の民主党政権が正式に謝罪しています。

 
2001年、当時首相だった小泉氏が元従軍慰安婦に謝罪の手紙を書いていたり、2013年、鳩山元首相が南京大虐殺記念館を訪問し、謝罪の言葉を述べたりーーーそんなことを繰り返してきました。
 
当時の南京の住民よりも多くの死者の数を強調している記念館です。

また、実情もかなり違っていることが、今までにも指摘されてきましたが、今なを、慰安婦南京大虐殺・徴用工など、歪められた歴史を盾に日本は責め続けられています。
 
インドネシアが植民地支配から独立を勝ち取ると、またマレーシアも様々な経過をとって独立します。
 
長い年月にわたり、白人の植民地支配を受け続けていたアジアの諸国は、日本が侵攻することをきっかけとして、次々と独立を勝ち取っていきました。
 
そのような中で、医師であり、政治家となった「マハティール・モハマド」が現れます。
 
マハティール・モハマドは、マレーシア首相となり22年間にわたりマレーシアを牽引していきます。
 
マハティールは、イギリス領に生まれており、日本軍によりマレー半島侵攻が始まった時、高校生でした。

当時のマハティールは、イギリスの圧倒的な国力を知り、長年のイギリス支配により「白人は無敵」との白人に対する劣等感があったため、日本は負けると思っていました。

だが、その予想に反して日本軍は快進撃を続け、短期間でマレー半島からイギリス勢力を一掃したのです。

この時、マハティールは初めて「白人が敗北することもある」と学んだといいます。

日本軍占領時代のマレー半島は、イギリス支配下の時よりも食糧事情が悪化しており、マハティールも学校を退校するなどの不幸に見舞われており、日本の侵略は不幸なこととしています。

しかし戦後、日本を訪問し、様々な企業を視察するうちに、日本人の勤勉さに打たれ、日本に学ぶべきとの思いを抱くようになったといいます。

息子や娘を日本の大学に留学させたり、日本に関する著書を出したり、あるいは政治の舞台から離れたときには、日本人と共同でベーカリーを経営するなど熱烈な親日家です。


太平洋戦争の評価についてもーーー

「もしも過去のことを問題にするなら、マレーシアはイギリスやオランダやポルトガルと話をすることが出来ない。

我々は彼らと戦争をしたことがあるからだ。勿論、そういう出来事が過去にあったことを忘れたわけではないが、今は現在に基づいて関係を築いていくべきだ。

マレーシアは、日本に謝罪を求めたりはしない。謝罪するよりも、もっと社会と市場を開放してもらいたいのだ。」と発言しています。

日本の外交政策について
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。

一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」と述べています。


日本の経済成長をマレーシア発展の参考にしてきた一方で、近年の日本経済については批判的でもあるのです。

また、近年の日本の若者に茶髪が多いことにも批判的でしたが、修学旅行でマレーシアを訪れた高校生たちとの会話を通じて「批判的な考えが変わった」とも述べています。


1970年代初頭、国営の食品会社の社長の頃、そこで作るパイナップルの缶詰がおいしくない、という悩みを聞きつけた三井物産が、おいしい缶詰の作り方を研究し、技術提供しました。後のルック・イースト政策につながったと言われています。


「ルック・イースト政策」とは、1982年第4代マレーシア首相のマハティールによって提唱された経済政策です。

この政策では日本を東洋の大国とみなし、西洋の先進国よりも この国の勤労の道徳、政策など様々な先進産業と経済部門にならうことを模索したものです。

学生と公務員が産業、技術、行政および民間部門の留学のために送られました。

最大で15000人のマレーシア人が、この政策によって恩恵を受けたと思われており、現在マレーシア政府は、環境技術や生物工学を含めるよう政策を変更することを模索しています。

このように、マハティール首相は開業医から政治家に転じ、欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させました。

現在、マレーシアには日本からの移住者が多くいます。

老後に必要とされる2,000万円などなくても、マレーシアなら終の棲家とすることができるかもしれません。
 
村山富市社会党党首が自民党に担がれて、総理の座に座ったことがあります。

そのとき、土井たか子(その後、社民党党首)と共に、大戦時に日本軍がアジア諸国に侵攻したことへのお詫びの行脚を行いました。
 
そのとき、この二人はマハティール首相に、
「日本軍が戦ってくれたので、アジアの諸国は欧米の植民地から独立できたのです。

日本は、いつまで謝罪外交を続けるのですか・・・」
と、たしなめられたといいます。
 
マハティール首相は、2018年秋の叙勲で桐花大綬章を受章しています。
 
さてーーー私の反応では、
 
小松帯刀は、マレーシア首相「マハティール・モハマド」として 現在は生きている、と思います。
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少なくとも,この両者は霊線が一致します。
魂レベルでも、同一の反応を示します。
 
つまり、小松帯刀は 「マハティール・モハマド」として転生しています。
 
明治維新では、小松帯刀は日本が生まれ変われる直前で病没しましたが、今度の「生」では、長く生きて今でもマレーシア発展のために尽くしています。
 
私の戯言(たわごと)にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
 
                      了
 
                  2019年7月27日記