《 琵琶湖周辺を探索する 3 》
伊吹山(いぶきやま)
竹生島を後にして、再びレンタカーに乗り込み、「伊吹山(いぶきやま)」を目指しました。
伊吹山は、滋賀県の最高峰であり(1377M)、一等三角点が置かれています。
だから見晴らし・眺望は素晴らしいところです。
ですが・・・雲が流れていて・・・遠くまで見渡せますが、完全な眺望はありませんでした。
駐車場を、雲が流れていきます。
山頂駐車場1260M
クルマで、伊吹山の9合目まで登れます。
江戸時代までは、山岳修行の山とされていました。
多くの方々は、修験道として山麓の5合目あたりから登るようです。
この日も 旅行会社主催の山登り客が、多数登られていました。
駐車場から登り始めて、20分程度で山頂に着きました。
1377M 伊吹山山頂での記念写真
ガスがかかっています。
全員元気です。すこぶる元気です。
竹生島で、たっぷりと高波動エナジーを吸収してきましたので、エナジーが全身に行き渡っています。
伊吹山は、3億年前には「海底火山」であったとされています。
そのために ウミユリやサンゴ礁の形成による石灰質の地層が見られます。
良質の石灰石が採掘される山として知られています。
『古事記』『日本書紀』によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途に、伊吹山の神を倒そうとして返り討ちにあったとされる神話が残されています。
伊吹山の神とは、「伊吹大明神」と呼ばれていました。
『古事記』では、「巨大な白猪」、『日本書紀』では、「大蛇」とされていました。
伊吹山の神と戦って敗れた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、病に冒されて山を下ります。
そして、一時回復しますが、のちに悪化して亡くなったという伝説があります。
山頂は、広々としていて、ここが頂上というエリアがないところです。
驚くなかれーーー「伊吹山」は、1927年(昭和2年)2月に、「11.8ḿ」の積雪量が観測されています。
これは、世界山岳気象観測史上1位となっています。
そのためなの、「伊吹山」にはスキー場がありました。
今から10年前に閉鎖されていますが、かっては関西有数のスキー場として名をはせていました(積雪量が減少して、クローズされました)。
晴れていれば、絶景が見られるはずです。少し残念。
弥勒堂
以下その説明文です。
「伊吹山山岳信仰の中心的な施設で、18世紀前半の絵図でも、ここを目指して登拝する修行の人々が描かれています。
かって、ここに多くの石塔、石仏が祀られていました。
現在、伊夫岐神社(いぶきじんじゃ:米原市伊吹)の対岸の秋葉さんに移されている弥勒の石仏は、もともとここに祀られていたものです。
山麓の雨乞いでは、弥勒堂の前の窪地で松明(たいまつ)を焚く「千束焚(せんばだき)」を行い、雷踊りを踊って降雨を祈りました。
雨乞い唄では、山頂を「弥勒の庭」と唄っています。」
このように表示されています。
「伊吹の火 採火地」
ここが雨乞いで、弥勒堂の前の窪地で松明(たいまつ)を焚くところを思われます。
「弥勒菩薩」とあります。
「弥勒菩薩」とはーーー
未来仏で、釈迦のゴーダマ・ブッタの入滅後、56億7千万年後に ブッタとしてこの世に現れて、人々を救うとされています。
あのルドルフ・シュタイナーや、出口王仁三郎などが、「弥勒菩薩」との同調を目指していたとも伝わっています。
御真言の「オン・マイトレーヤ・ソワカ」と唱えながら、「パワースポット探索の会」メンバーの全員に同調していただきました。
ただし、かなり強いエナジーなので、同調できたのは数人でした(抜けていきました)。
ついでながら、「菩薩」とはまだ修行中の身であることを表します。
そのため「弥勒菩薩」ではなく、悟りを開いている「如来」として、「「弥勒如来」と呼ばれることもあります。
もう一つ「弥勒菩薩」が祀られています。
これは「南弥勒菩薩」が祀られています。
残念ながら、こちらには「弥勒菩薩のエナジー」は反応しません。
案内板によると、4合目に「日本武尊(やまとたけるのみこと)遭難の地」があるようです。
近くのエリアに、高波動の反応を認めました。
この岩の間のエリアには、「時計回り」のエナジーの渦が巻きあがっています。
ここに立つと、敏感な方なら身体が振動するのを感知するかもしれません。
左からタッキー、ミッチー、カネゴンの三人が立ちました。
この三人は、過去生で親子でした。
この因縁から、一人がブレると その影響が全員に反応することがあって、脳が認識してしまってから、一時は大変でしたが、今は収まっています。
もう一組の過去生の因縁がある三人です。
左からゾネス、皇子、ヒサヒサは、過去縁では、皇子を巡ってゾネスとヒサヒサが 三角関係にあったようです。
今は、皇子と超過敏なゾネスが、よく反応するようです。
特に この二人は高波動なので、互いに影響することが多いようです。
ついでに、「私だって・・・皇子と過去生で縁があったのだから・・・・」と、これにイッチが加わりました。
とにかく皇子のモテモテは、今に始まったことではないようです。
過去生の因縁が大きいようです。
こうして、初日を終えて、ホテルに向かいました。
つづく
2019年10月12日記