生命体エナジー浄化の会ブログ

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さらに東北を巡る旅 1

《 さらに東北を巡る旅 1 》

早池峰神社(はやちねじんじゃ)と丹内山神社(たんないさんじんじゃ) その1)

 

 2020年に恐山に行った後で、さらにその年の10月の中旬に再び東北の地に赴きました。

この時にも、各地のパワースポットに立ち寄りましたが、2か所に絞って紹介します。

 

標高1917Mの「日本百名山」の1つである早池峰山(はやちねさん)の麓に、「遠野」があります。

そう・・・あの『遠野物語』で有名なパワースポットがあるのです。

 

早池峰山(はやちねさん)の麓には、「早池峰神社(はやちねじんじゃ)」があります。

 

早池峰山(はやちねさん)の山頂に、「奥宮」があり、その麓に4か所に登り口があり、その里宮としての一つとして「早池峰神社(はやちねじんじゃ)」があるのです。

 

神仏習合の時代から、「山岳信仰」が盛んな場所でした。

これは、奈良時代にまでさかのぼります。

 

険しい山岳に入り修行を行うことで、悟りを開き、山岳で霊的なパワーを身体に取り入れて里に行き、様々な要求に応える「修験者」が出現してきます。

 

この「修験者」や「山岳信仰」が融合した「修験道」が、平安時代に確立されてきます。

山岳の霊山である「早池峰山」は、「山の神」「水の神」「海上守護の神」として信仰されてきました。

 

そしてなによりも―――

 

この「遠野」は、民族学者の柳田国夫が1910年に著した『遠野物語』で一躍有名になります。

 

岩手県の遠野地方の、民間伝承をまとめた全112話の小話集です。

 

その中で、「座敷わらし」があります。

遠野物語』では、旧家には「座敷わらし」という神が住むことがあると言われています。

 

「座敷わらし」とは、多くの場合12歳ほどの子供の姿をしていて、人に姿を見せることもあります。

 

「座敷わらし」がいると、その家は繁盛します。

「座敷わらし」が住みついて、走る音や声が聞こえる家は栄えるといわれ、「座敷わらし」は大切に祀られているのです

 

金運が高まり、財産が増えると言われますので、「座敷わらし」を自宅に招き入れようと、多くの方が「座敷わらし」を求めて、「出る!」といわれる旅館に泊まったりしています。

 

高校の休暇で帰って来た娘が、廊下で男の子の姿をした「座敷わらし」に会ったという話や、 誰もいないはずの部屋から音がしたけど確認しても誰もおらず、しばらくすると鼻を鳴らす音が聞こえてきたなどの話があります。

 

「座敷わらし」は、多くの方のイメージでは「小さな男の子」だと思います。

だが、「座敷わらし」は女の子の姿をしていることもあります。

 

遠野にある山口家には、「座敷わらし」がいると伝えられていました。

ある日村の男が町から帰る途中、見知らぬ二人のかわいい娘に出会いました。 二人は山口家から来て、これからどこそこの村の家に行くと言います。

これを見た男は、

座敷わらし」のいなくなった山口家は、長くはないだろう」と思いました。

 

それからほどなくして、山口家の二十数人はキノコの毒にあたり、幼い女の子一人を残して死んでしましました・・・・・これは、『遠野物語』にある物語です。

 

そして―――この早池峰神社には、「座敷わらし」がいるといわれているのです。

 

このことは、単なる言い伝えにとどまらず、「座敷わらし」にちなんだ祭りも行われているのです。

 

早池峰神社参拝時に、「座敷わらし」がついて来るという言い伝えがあります。

 

実際に遠方から訪れて、早池峰神社に参拝した人が、事業に成功して、そのお礼に早池峰神社に多額の寄付をしたと伝わります。

 

これは昭和の出来事です。

そのためなのか、早池峰神社では毎年4月に「座敷わらし祈願祭」が行われています。

 

当初は、地元の人だけの祭りでしたが、今では遠方から多くの方が訪れます。

 

「座敷わらし祈願祭」では、座敷わらしの人形を貰えます。

だが、その人形は10体しかなく、なかなか入手が困難なようです。

 

この人形があると、「座敷わらし」が家に来て、金運が上昇すると云われています。

 

「座敷わらし」は、悪霊ではなく、精霊のような存在かもしれません。

 

少し、『遠野物語』から、遠野地方に伝わる民間伝承をお伝えします。

 

(神の始まり)

遠野の町は、南北の川の合流するところにあり、町には70里四方から商人1000人、馬1000頭が集まるほどの賑わいを見せていました。

 

この町の周囲には、早池峰山、六角牛山、石上山がありますが、その神話があります。

 

その昔、女神が三人の娘を連れてやってきました。

そして、遠野の伊豆権現(現在の伊豆神社)に宿泊して、「今夜良い夢を見た娘に、よい山を与えよう」と言いました。

 

その夜、寝ている長女の胸に、清らかな靈が降りてきましたが、これを見た三女がこっそりと自分の胸に載せ替えました。

 

その結果、よい夢を見れた三女は、最も美しい早池峰山を手に入れて、姉たちは六角牛山と石上山を得ることになりました。

 

この女神たちは今でもこの山に住んでおり、遠野の女たちは 妬みを恐れてこの山には入らないと伝わります。

 

神隠し)

遠野では、黄昏のときに家の外に出ている若い女性や子供が「神隠し」にあいます。

 

ある日 若い娘が草鞋を残しましたまま行方が分からなくなりました。

30年後に親戚が集まっているところへ、醜く老いた老女が帰ってきました。

 

老女は「皆に会いたかったから帰ってきた」といい、「それではまた行く」と言うと、跡形もなく消えてしまいました。

 

その日は、激しい風が吹いていたので、遠野の人は風の強い日には

「今日は婆が帰ってきそうな日だ」と言うと伝わります。

 

マヨイガ

三浦は村一番の金持ちですが、二~三代前の主人の時は貧しく、その妻は少々愚鈍でした。

 

その妻が山へフキを取りに行ったときに、あまり良いものがないので、谷の奥深くに入っていきました。

 

ふと気づくと立派な黒い門の家があり、怪しいと感じながらも入ってみると、一面に紅白の花が咲き、沢山の家畜がいました。

 

玄関から中に入ると、沢山の食べ物が盛られた膳椀や湯の湧いた鉄瓶を見つけても、人影はありませんでした。

 

もしかしたら山男の家ではないかと急に恐ろしくなって、走って家に帰りました。

この出来事を人に話しても、信じる人はいませんでした。

 

後日、妻が洗い物をしていると、川上から赤い美しい椀が流れてきたので、この食器を使うと汚いと怒られると思ったので、雑穀用の器として使うことにしました。

 

この器を使い始めてから、いつまで経っても雑穀は亡くならず、貧乏だった三浦家は裕福になりました。

 

遠野では、山中にある不思議な家を「マヨイガ」と言います。

マヨイガ」は訪れた者に富を授けるのために現れるので、物でも家畜でも何か持ち帰るようにと伝わっています。

 

この妻は、無欲で何も持ち帰らなかったので、家まで椀が流れてきたのだろうと云われています。

 

他にも婿に行った男が、実家に帰る途中で山道で迷い、「マヨイガ」に行き合った話があります。

 

マヨイガ」に入ったものの、恐ろしくなった男は引き返し、そのことを話すと、男を道案内にして、大勢で「マヨイガ」に行くことになりました。

 

しかし門のあったはずの場所には何もなく、一行はむなしく帰りました・・・。

 

オクイナサマとオシラサマ

遠野の集落には、必ず「大同」と呼ばれる旧家が存在します。

そこには「オクナイサマ」という神を祀っています。

 

「オクイナサマ」は桑の木を削って顔を描き、真ん中に穴を開けた四角い布を被せて衣装とします。

正月の15日には、集落の人々が集まって「オクイナサマ」を祀ります。

 

大同には必ず畳一畳の部屋があり、その部屋で寝ると不思議なことが起きます。

 

枕がひっくり返される、誰かに起こされる、部屋から突き出されるなど、静かに眠ることができません。

 

「オクイナサマ」を祀る家には良いことが起きます。

 

どこからとなく現れた小僧が、田植えを手伝ってくれて、お礼にご飯を誘っても姿が見えなくなり、家に帰ると「オクイナサマ」の神棚に続く足跡があり、「オクイナサマ」の神像の腰から下が泥にまみれていた、という言い伝えがあります。

 

オシラサマ」という神もあります。

「オクイナサマ」と同じように造ります。

正月の15日に祀り、神像の顔を白粉で塗ります。

 

「オクイナサマ」だけを祀る家もありますが、「オシラサマ」を祀る家には必ず「オクイナサマ」が一緒に祀られます。

 

オシラサマ」の神体は、「男と女」「馬と娘」「馬と男」など、2体一対で祀られています。

 

百姓の娘が飼い馬を愛して夫婦となりました。

それを知った父親は、怒って馬を木に吊るして殺してしまいます。

 

娘が馬の側で泣くので、父親は馬の首を斧で切り落とします。

すると、その首に乗って娘は天へと昇り、それが「オシラサマ」になったといいます。

 

(池端の白臼)

池端という家の男が町に行った帰り、若い女性に「手紙を届けてくれないか」と頼まれます。

 

物見山の中腹にある沼で手を叩けば、宛名の人が出てくると言われ、男は引きうけました。

だが、妙な頼みが気になって悩んでいました。

 

道中で僧侶と出会ったので事情を説明すると、この手紙をそのまま渡すと大きな災いになるから、書き換えたものを渡すように言われ、僧侶から別の手紙を渡されました。

 

男が沼へと行って手を叩くと、若い女が現れ、僧侶から貰った手紙を渡すと、お礼として小さな石臼(いしうす)を貰いました。

 

この石臼は、米を一粒入れて回せば、黄金が出る不思議なもので、男の家は裕福になりました。

 

しかし、欲深い妻が沢山の米を入れたところ、石臼は勝手に回りだして、水たまりへと滑り込んでいきました。

 

その水たまりは、今も家の傍らで小さな池となっていて、その家の「池端」という名は、それに由来しています。

 

(河童)

川岸の砂上に河童の足跡が残されていることは珍しいことではなくて、特に雨の翌日に多いのです。

 

とくに猿ヶ石川には、たくさんの河童が住んでいると言われていました。

河童の親指は離れて人間の手の跡に似ており、長さは三寸にもなりません。

 

松崎村の川端には、二代続けて河童の子を身ごもった家があります。

生まれた子の姿は醜悪で、切り刻んで一升瓶に入れて土中に埋められました。

 

畑から帰ると水際にうずくまって笑う河童がいました。

その河童が女のところへ夜な夜な通っているという噂が立ちました。

 

最初は婿が留守の時を狙っていたようですが、やがて婿が寝た夜にまで来るようになりました。

家の者が娘を守ろうとしても、河童が来ると身動きできなくなったそうです。

 

やがて河童の子が生まれましたが、お産は極めて難産で、生まれた子の手には「水かき」が付いていました。

 

この家の母親もまた河童を生んだことがあり、これは二代、三代の因縁ではないとう者もあります。

 

上郷村には河童らしき子を産んだものがいます。

 

全身が真っ赤で、口が大きく実に醜いので、離れた場所に捨てられましたが、

見世物として売れば「金になるだろう・・・」と思って引き返したところ、どこにも見当たらなかったといいいます。

 

他の地域では河童の顔は青いとされていますが、遠野の河童の顔色は赤いです。

お婆さんが若かったころに、庭で真っ赤な顔の河童を見たと言っています。

 

(魂の行方)

ある日の夜、猟師の男が家に帰る途中で、小川の側で妻に出来わせました。

 

こんな夜中に一人でこんな場所に来るはずがないので、化け物に違いないと思って、持っていた包丁で刺し殺すと、妻は悲しい声をあげて息絶えました。

 

しかし、いつまで経っても正体を現さないので動揺して、家にいるであろう妻を確認するために、仲間にその場を任せて家に走りました。

 

すると妻は「夢の中で男を迎えに行ったら山道で何者かに脅されて、殺されると思ったところで目が覚めた」というのです。

 

この話を聞いた男は、「さては・・・」と納得して、元の場所に引き返すと、小川で刺し殺した女は、キツネの姿に変わっていました。

 

どうやら夢の野山を歩くと、狐の身を繕うことがあるようです。

 

(狐)

旅人が、豊間根村を過ぎた辺りで夜が更け疲れたので、知り合いの家に灯りが見えるのを幸いに、家に入って休息することにしました。

 

すると主人は「丁度よいところに来た、死人がいるので留守番がいなくて困ってる所だ、しばらく留守を頼む」と言って出てしまいました。

 

迷惑な話だが仕方がないと囲炉裏の側でタバコを吸っていると、奥に寝かせている老婆の死骸がうくむくと起き上がりました。

 

旅人は驚きましたが、落ち着いて辺りを見回すと、台所の水口から狐が顔を入れて老婆を見つめているのに気づきました。

 

旅人は「やはり!」と得心すると、静かに裏口に回り、そこにいた狐を棒で打ち殺しました。

 

デンデラノ)

昔は60歳を過ぎた老人を「デンデラノ」に追いやる習わしがありました。

 

デンデラノ」に行った老人もすぐに死ぬわけではないので、日中は里に下りて、農業をして生活していました。

 

そのことに由来して、山口や土淵あたりでは、朝に田畑に働きに行くことを「ハカダチ」、夕方に帰っていくことを「ハカアガリ」と呼ぶことがあります。

 

 遠野物語』は、柳田国夫の友人・佐々木喜善が語った遠野地方の伝承をまとめたものです。

 

伝承には、ほとんど脚色せずにそのまま描いたものです。

当時の人々を知るうえで貴重な資料になっています。

 

最後の「デンデラノ」は、「姥捨て山」伝説の話です。

昔は生活が立ち行かなくなると、60歳を過ぎる老人は自ら山に入り、朽ち果てた・・・と伝わります。

 

「姥捨て山」伝説は各地に残っていました。

 

楢山節考(ならやまぶしこう)』は映画にもなり、子供が親を捨てに行く壮絶な場面が描かれて話題になりました。

 

「姥捨て山」伝説について、少しひも解いてみます。

 

ある国の殿様が、年老いて働けなくなった者は、役に立たないから山に捨てよという非情なお触れを出しました。

ある家でもお触れに逆らえず、息子は泣く泣く老親を山に捨てようとするが、結局捨てることができず、密かに家の床下にかくまって世話をすることにします。

しばらくの後、殿様が隣の国からいくつかの難題を持ちかけられ、解けなければこの国を攻め滅ぼすと脅されますが、息子はそれらの難題を老親の知恵によって見事に解いてみせました。

隣の国は驚いて、このような知恵者がいる国を攻めるのは危険だと考え、攻め込むのをあきらめたといいます。

老人のすばらしい知恵のおかげで国を救われたことを知った殿様は、老人を役に立たないものと見なす間違った考えを改め、息子と老親にたくさんの褒美を与えると共に、お触れを撤回し、その後は老人を大切にするようになったといいます。

 

また、

山に老いた親を捨てるために背負っていく際に、親が道すがら小枝を折っている(あるいは糠を撒いていく)のを見た息子が、「何故か」と尋ねると、

「お前が帰るときに迷わないようにするためだ」と答えます。

自分が捨てられるという状況にあっても子を思う親心に打たれ、息子は親を連れ帰ったといいます。

 

姥捨ての実際については、はっきりしたことは分かっていないようです。

少なくとも古代から現代に至るまで、姥捨てやそれに類する法令などが日本国内にあったという公的記録はありませんが、民間伝承や姥捨て由来の地名が各地に残っているようです。

 

このような『遠野物語』の民間伝承を知った上で、いよいよ「早池峰神社」へと向かいました。

 

          つづく

 

       2023年2月14日記