≪ ネパールの生き神(女神)様 その2≫
2012-4-6
ネパールの民族舞踊を観ながら 食事をすることになりました。
カトマンズの街は 埃(ほこり)っぽいですし、そのレストランも薄暗い感じのところでした。
民族舞踊の出演者は、男女それぞれ2名の小規模なショーで、単調ですし、正直 私はほとんど興味が沸かなかったのです。
ドイツ人の団体客も同席していましたが、私と 同じような反応を示していました。
美顔のインド系の踊り子(右)と 平凡な顔つきのもう一人の踊り子(左)がいて、平凡な左の娘(こ)は 寝ているところが電磁波に曝されており、身体が歪んでいました。
ネパールでは 電線が 異常なほどの数が電線に垂れ下がっており、彼女の寝ている部屋が その悪影響をうけているのでは・・・・などと、勝手な想像を巡らせていました。
そして―――
この左側の平凡な女性が、「女神の舞」を 一人で披露したのです。
驚きました。
このときだけ、本当に「女神」と思われるエナジー体が、踊り子に降臨していました。
この写真からは、淡々と女神となって踊るエナジーは、あまり現われてきません。
実際に それを観ているとき・・・いや、視ていると、その存在を感知し得るのです。
歪んでいるはずの身体が、まったく正常な状態に変化しました。
体軸がとれています。
降臨すると―――
体軸が整って、オーラ・フィールドには 正常な生命体エナジーが循環するのです。
後で現地ガイドの方に伺うと、彼女はモンゴル系の民族出身者だそうです。
なるほど―――
民族舞踊の踊り子にして「女神」が降臨するのであれば、国の象徴でもある生き神様である「クマリ」は、大いに期待できる存在である―――
そう思ったのです。
ネパールは「王国」です。
クマリは、国王の守護神である女神(タレジュやアルナブルナ)の生まれ変わり―――とされています。
したがって、ネパール国王でさえ、年に1回行われる大祭では ロイヤル・クマリの前にひざまずいて、祝福を受けるために ひれ伏すのです。
ロイヤル・クマリとは、カトマンズに在る「クマリの館」に住むクマリで、通常 クマリと言うと、このロイヤル・クマリを指します。
その他に、各地方には「ローカル・クマリ」が存在する、ということです。
クマリに選ばれるのは―――
● 3歳前後の幼い少女であること
● ネワール族の仏教徒であること
● 満月の日に生まれた幼女であること
など、多くの条件のそろった候補者の中から、一人が選び出されて、「初潮」を迎えるまで、クマリとして過ごすようです。
現地ガイドの話では、その多くは生涯独身をとおすようです。
ローカル・クマリの中には結婚した者もいたのですが、エナジーが強すぎるのか、結局離婚に至っている・・・・とのことです。
いや・・・・言い伝えによると―――
初潮を迎えて退任したクマリと 恋に落ちて結婚した男性は、ことごとく半年以内に血を吐いて死ぬ―――と、言い伝えられているようです。
つまり、
クマリとなった女性は、一生涯 恩給を貰ってひっそりと生活する・・・ことが運命づけられていて、女性としての幸せな人生は送れない・・・というのです。
ですが・・・・
実際には 子供を何人も産んで、幸せな人生を送っているクマリもいるということです。
クマリに選ばれると、侍従たちが「女神」の化身となるための、様々な修練を積ませるようで、基本的には「館」から、一歩も外には出ることが許されません。
ネパール国王が ロイヤル・クマリの前でひれ伏す9月の大祭の時は、専用の乗り物(山車)に乗って街に出るそうです。
そのときに人々は 真近にクマリを拝顔することができ、幸福がもたらされる―――とされています。
ロイヤル・クマリは、国の運命を占う予言者でもあるので―――
政府高官の元を「予言者」として訪れることもあって、クマリの所作が予言であり、
おとなしくしていれば、平穏無事であることになり、泣いたり叫んだり、身震いしたときなどは、凶事を示すことになるようです。
病気治療などの力も秘めているようで、その力は絶大である―――と、認識されています。
ですが、それらの特別な行事以外は ひたすら「館」に閉じこもっているのです。そのような生活は・・・・
考えただけでも・・・・嫌ですし、人として「幸せですか?」って、正直 疑いたくなりました。
実際、クマリは社会から断絶されており、「軟禁状態」にありますので、幼児虐待とみなされて、人権擁護団体から提訴されたようです。
ネパールの最高裁は、伝統文化ではあるが、子供の権利は否定されるべきではないとして、もっと自由に行動させるべきである―――との判決を下してはいるようです。
といっても、その後に ローカル・クマリの一人が、断りもなしに国外に行った―――ということで、解任させられています。
今でも、自由な行動は許されないのです。
ましてやロイヤル・クマリともなれば、我われのような観光客が 拝顔のために訪れるのですから、外出など できようはずもありません。
そのような能力を秘めた「幼女」を選んでいるので、「館」のなかで本物のクマリとして 成長していく・・・・のだそうです。
ロイヤル・クマリの住む「館」は、ダルバール広場にあります。
この画像が、その「館」です。
夕方の「4時」と「4時30分」の2回―――ロイヤル・クマリを拝顔することができます。
その時間は、わずか15秒間程度です。
我われのツアー団体は、4時15分集合で、興味のある方は 先に「4時」のときに拝顔する―――ことができます。
配偶者は 先にクマリの「館」に行き、私は広場の露店が面白くて、エナジーのマッチするモノを探し回り、値段交渉を繰り返していました。
集合時間に行くと―――
「館」の中庭で、30歳ぐらいの中国人女性が わめいていました。
警察官の話を まともに聞こうとせずに、自分の主張だけをわめき散らして、ものすごい剣幕でした。
その中国人女性は、クマリの写真撮影は「絶対禁止」の掟を無視して、写真を撮ったようなのです。
素直に非を認めて、謝罪すればいいものを、ちょっと日本人では考えられない行為でした。
警察官もあきれていましたが、とにかく一人の中国人女性のおかげで、次の4時半の拝顔時間が過ぎているのに、クマリが顔を見せられないのです。
多くの人が中庭に集まってきており、ようやく警察官が この女性を引っ張っていきました。
現地ガイドからは、あらかじめ 「クマリ(女神)の撮影は、絶対に禁止です」と伺っていましたので、我われ日本人ツアー全員が、カメラを納めて
両手を合わせる「合掌」のポーズをして―――それが しきたりです―――クマリが現われるのを待ちました。
3階の「館」の窓から、一人の老人が カメラを構えている者がいないかチェックしていきます。
中庭にいる係官は、「ノー・キャメラ(撮影禁止)」と幾度も、言っています。
ところが―――
これだけの注意を促されているのに、またしても中国人女性(40代くらい)が、隠し撮りをしようとしていたのです。
「よくもまあ・・・」誰からともなく ため息がもれました・・・。
私はすでに、窓の奥の空間に―――マイナス波動をキャッチしていました。
その波動は、強く・・・いや、強烈でした。
窓の奥に存在すると思われる空間は、その波動で満ち溢れていました。
クマリは・・・おそらく・・・
侍従と思われる 窓から見下ろしている老人の生体エナジーからは、マイナス波動は感知しませんでしたが、霊的な能力が高そうな雰囲気が、ロイヤル・クマリには・・・ありそうでした。
ようやく・・・クマリが、窓から顔を出しました。
写真に載せられないのが残念です。
ヒタイから鼻先にかけて朱色に染めて、目の周りは「黒」で縁取りがされていました。
エジプトの歴代王妃のアイ・ラインと同じです。
切れ長の黒いラインが描かれています。
15秒間、私たちは手を合わせて、クマリを目にした「喜び」に浸るのです。
当然・・・私も 「生きた女神」様を拝顔できたことに、感謝の気持ちをもって、「館」を後にしました。
ネパール旅行の前に出来上がった「大光明オイル」を、私は持ち歩いていました。
このオイルを、遠隔で(恐れ多くも)クマリのヒタイから オイルを1滴 塗り込んでみました。
すると―――驚くべき反応を示しました。
クマリの頭部に渦巻いていた あるマイナス波動は、一瞬で消去したのです。
数週間経った今も・・・その状態は続いています。
これは、あくまでも私個人の主観的な反応です。
したがって、客観的なものではありません。個人的な感想に過ぎないことを・・・・ご理解いただきたいと思います。
1ヵ月経った現時点でチェックしてみても、素晴らしい「体軸」を示しています。いや・・・・
あくまでも個人的な判断ですが―――
マイナス波動を消去したら、このような波動が浮き上がってきたのです。
恐らく・・・
これだけの波動を秘めているのだから、霊的な能力は ひじょうに高いということは、間違いないように思われます。
高波動になればなるほど・・・・一転して、マイナスの大きな波動に捉われてしまう2面性(表裏一体の関係)を、ロイヤル・クマリから学ばせて頂いたように思われます。