生命体エナジー浄化の会ブログ

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エヴェレストと 果てしなき挑戦 その2

≪ エヴェレストと 果てしない挑戦 その2 ≫
 
2012-4-26
 
 
20世紀になって、ヒマラヤ山脈に 人類のいまだ知らない「高峰が存在する」との ウワサがながれていました。
 
それは遠く数百キロも離れた所から「三角測量」した結果、8800Mをゆうに超えるもので、各国の登山隊は 競って一番乗りを目指していたのです。
 
1921年に 初めてエヴェレスト登山隊が組織されて以来、幾度もその行く手を阻まれていました。
 
エドモンド・ヒラリー卿が シェルパのテンジンと共に 世界初登頂に成功する1953年まで、実に30年以上にわたって 世界最高峰は 人類の登頂を拒絶し続けてきたのです。
 
私は―――
 
単純にカトマンズに行けば、「エヴェレストは観える」ものである・・・そう思っていました。
 
ほとんどの「エヴェレスト登山隊」は、カトマンズから出発する・・・そういうイメージが しみ込んでいたからです。
 
だが、実際には・・・・
エヴェレストは、「あまりにも遠く」「あまりにも深い」ところに在ったのです。
 
世界の最高峰は そんなに甘くはないのです。
 
カトマンズから さらに奥地の村に飛行機で行かなくてはなりません(そうしなくては行けるところではありません)。
 
そこから 野を越え 山を越えて 麓まで行く。そして・・・ベースキャンプを張って、いくつものキャンプ地を造りながら、頂上アタックに備えて、
 
天候の良いそのときに、アタックする―――。
 
空からエヴェレストの山頂を「観た!」とき・・・・そのあまりにも深い山岳の中にそびえる頂きを、
 
よくもまあ こんなところに登ったものだ・・・と、妙な関心をしたのです。
 
世界第2の高峰K2は、エヴェレストよりも さらに奥深いところに在るのです。今でもK2は 簡単にはアタックできない位置に存在しています。
 
 
私たちは、カトマンズの空港からヒマラヤ観覧の飛行機に乗り込みました。
 
標高7000Mから8000M級の「世界の屋根」が連なる中に、世界最高峰が在りました。小さな感動を覚えます。
イメージ 1
 
コックピットから、エヴェレストの頂きが観える。
画面真ん中の 尖がった頂きがエヴェレスト。その右がローチェ。
 
 
「なぜ、山に登るのか?」
「そこに・・・山が在るからだ!」
 
エヴェレストに世界初登頂したヒラリー卿は
 
「(吾輩は)エヴェレストを征服した!」
と、誇らしげに世界に向かって 有名なセリフを残しています。
 
が―――
が、同行したシェルパのテンジンは、
 
「私は・・・エヴェレストの山に、登らせていただきました・・・・」
と、言葉少なに語っていました。
 
ここに―――
 
「自然は 克服すべきもの」とする欧米人と、
「自然と 共存する」東洋人との 相違が顕れているように思われます。
 
現在 世界では自然破壊によって、砂漠化が深刻な状況を生み出しています。
 
地球に 光合成によって酸素を供給してくれている大アマゾンでは、森林伐採は加速度的に進行して、これが世界の異常気象の元凶の一つ、とまで指摘されています。
 
ヨーロッパの国々では、森林伐採は90%に及んでいます。
 
一方、わが国は 国土の70%が森林です。
これは、世界の先進諸国と 大きく異なるところです。
 
島根県石見銀山が 「世界遺産」に指定されたのは、
他国では例をみない「自然環境を保持しながら開発された」ということが、評価されたからです。
 
シェルパのテンジンは、自然への畏敬の念を込めて―――
 
チョコレート1枚とビスケットひと包み、さらに あめ玉ひとつまみを、エヴェレストの山頂の雪の中に、埋めました。
 
山の神々(精霊)に お供えしたのです。
 
これを視たヒラリー卿は、自分も何かしなくてはと思い立ち、
小さな十字架を お供え物に並べて埋めた―――と、伝えられています。
 
 
先日、数十年ぶりに 北海道の「昭和新山」の麓に行ってきました。
今でも、まだ山からは 少し煙が立ち上っています。
 
40年以上前、昭和新山は 全山から もうもうと火山の煙が立ち上っていました。
私は若く、人の行かないところに踏み込むのが好きでした。
 
立ち入り禁止をかいくぐって、昭和新山の山頂に立つと、噴煙の切れ目から 得意げに眼下の観光客に「手を振った」ことが、思い出されました。
 
「(吾輩は)昭和新山の山頂に立った!」
青二才の高慢さを、羞恥な気持ちで振り返りました。
 
「なんで、登ったの?」
「なんで?・・・登りたかったんだ!」
 
そう答えたであろう昔の自分を思い出して、爺(じじい)になった現在の情けない姿と、交錯していました。
 
今、爺(じじい)になってきて、テンジンの気持ちが 少しですが、解るようになってきた・・・気がしています。