生命体エナジー浄化の会ブログ

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日本のピラミッド 1  葦嶽山 その1

< 日本のピラミッド 1 >
葦嶽山 その1

酒井勝軍(さかい・かつとき)の著した『太古日本のピラミッド』(昭和9年刊)を読んで触発された私は、2010年5月、広島県に在る葦嶽山(太古のピラミッド)に行ってきました
 
日本には 太古より独自の文化が発祥しており、その存在の証として「ピラミッド」が この日本にも存在する―――と 酒井は主張していたのです。
 
酒井勝軍は―――波乱万丈の人生を生きています。
 
1874年に山形県で生まれて、キリスト教の洗礼を受けて キリスト教徒となりました。
 
東北学院を苦学して卒業して、サンフランシスコ、シカゴで仕事をして、帰国後 東京唱歌学校を設立しています。牧師になったのです。
 
語学が堪能であったことから、外国武官接待係として 日露戦争に従軍しています。
 
その後、シベリア出兵の通訳として従軍して、その際 悪書「シオン賢者の議定書」と出会い、反ユダヤ主義を知り、それを日本に紹介しています。
 
この「シオン賢者の議定書」とは、ユダヤ人による世界征服計画を暴露する内容のもので、あのアドルフ・ヒットラーに大きく影響を与えたといわれています。
 
ユダヤ人虐殺(ホロコースト)の口実を与えた 史上最悪の偽書と言われています。
 
酒井勝軍は 当初は反ユダヤの傾向があったようですが、その後 親ユダヤ主義へと変貌を遂げていきます。
 
酒井の視点では、ユダヤ人とフリーメーソンの暗躍も、最終的には「神選の君主」たる皇室の栄光につながるという証拠文書となり、シオニズムパレスチナの故郷にユダヤを再建するという運動)も 日本回帰運動として解釈されてしまうようです。
 
1927年(昭和2年) パレスチナとエジプトへと 視察のために 帝国陸軍特務機関から派遣されます。
 
そのとき 酒井はギザのピラミッドなどの研究をしたようなのです。
その知識が 後の「太古日本のピラミッド」の出版に繋がったようです。
 
なぜ 酒井が日本の太古の時代にピラミッドが造られたのか、どこに造られのかなどは、ある文献との出会いがありました。
 
それは―――
 
知る人ぞ知る太古日本の歴史を綴った『竹内文献(竹内古文書)』です。
1929年(昭和4年)310日、酒井は高畠康次郎、長谷川栄作、中山忠也、中山忠直、鳥谷幡山らとともに天津教総本山の皇祖皇太神宮竹内巨麿の所有する竹内文献(前年公開)を拝観したのです。

竹内文献とは―――

巨石遺構の存在を記した古文書であり、越中富山(富山市)の御皇城山(おみじんやま、現在の呉羽山)にあった、皇祖皇太神宮に伝わった古文書類のことです。

伝承によれば、紀元5世紀、25武烈天皇に仕えた大臣の武内宿禰の孫、平群真鳥(へぐのまとり)がクーデター計画を発覚し謀反人として殺されたと伝えられています。

しかし、竹内文献では、このとき、平群真鳥は没しておらず、実は、新興の勢力から日本古来の伝承を伝える文献を守るために、武烈天皇平群真鳥を殺したと見せて、ひそかに越中へ落ちのびさせたとされているのです。

この密命が、皇祖皇太神宮に伝わった古文献なのです。なお、平群真鳥の子孫が竹内家です。

竹内文献」は、もとは神代文字で書かれていたのですが、平群真鳥が、漢字・カナ混じり文に書き改め、竹内家ではこれを四代ごとに筆写し、代々、秘密裏に伝えてきたといいます。

内容は超古代の歴史が記されており、日本だけでなく、世界全体を対象とした地球規模の壮大な文明の存在が綴られているのです。

日本書紀では、歴史は神武天皇に始まりますが、竹内文献では、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に、25代・44世にわたる上古代があり、さらにその前にも数十代の王統があったといいます。

つまり―――過去3000億年にさかのぼる奇怪な歴史が語られていたのです。
 

竹内文献」が世に出てきた所以は、竹内家66代目にあたる竹内巨磨が、明治・大正時代に宗教結社「天津教」を設立して普及活動を始めてからのことです。

このー竹内文献の中に、問題の「巨石遺構」に係わる記述があったのです。


それは、竹内文献に伝わった「御神宝」の中の御神体石(ごしんたいせき)に神代文字で彫り込まれていました。


『イヤヨ月円(まど)六日、 吉備常根本国
 大綱手彦命天皇霊廟  亦ノ名メシヤ
 日ノ神月ノ神  造主神日来神宮』


要約すると、
三月十六日に吉備津根本国(きびつね もとつくにー備前・備後の国をさす)に、大綱手天皇(おつなてひこ すめらみこと)の霊廟(れいびょう)を造ったと云うのだがー、


この文章の最後の一節に「日来神宮」という言葉が登場したのです。

なんと読むのかー?発音は、ヒラミットです。

つまり、ピラミッドとなるのです。

そしてこの大綱手彦命天皇の名前から文献をたどっていくと、ウガヤ・フキアエズ朝12代天皇の叔父に当たることが分かりました。

竹内文献によるとウガヤ・フキアエズ朝12代天皇、時代は約2万2000年前ということになります。

ウガヤ・フキアエズ朝とは、古事記では、神倭朝(かんやまとちょうー現在の大和朝廷)以前にあったとされる王朝で、記紀には一代だけあったと記されています。

この途方もない歴史書が、『竹内文献』なのです。

天之浮船
竹内文献によれば、今から数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であったというのです。

そして、越の国、つまり、いまの富山県神通川(じんつうがわ)の御皇城山(おみじんやま)を中心に、飛弾・乗鞍にかけた一帯が神話で云うところの「高天原」であったというのです。

そこには、すべての人類の元宮として建立された「天神人祖一神宮(てんじんじそ いちじんぐう」という壮大なパンテオンがあったといわれておいります。

世界の人々は、こぞって、この元宮にお参りに来たといいます。 

と云っても、現在、私たちが神社にお参りするという感覚ではないようです。


つまり―――ここに世界の統治本部があったといい、それがある場所を「高天原」と呼んだというのです。

高天原」とは首都、世界の首都の意味だと、竹内文書は述べています。

竹内文献をたどると、その中に浮かぶ世界がいかに驚くべきものかが分かるといいます。

太古の神々は天空を超高速で駆ける「天浮之船(あめのうきふね)」と呼ばれる飛行艇に乗って 世界を巡行したというのです。

『ケサリ月円五日、詔(しょうー召して)して万国巡行、
大力勇神通力にて一日八千里、天空浮舟乗行給ふ。
又一日一万一千里行給ふ。時に万国五色人王、又尊者貴く、天神の御来光と云ふ拝礼す』

この記述が登場するのは、上古十八代・大斗能地王天皇(おおとのちおう・すめらみこと)の時代のことです。


二月十五日に天皇が世界の巡行にお出かけになった。 
一日に八千里、つまり、三万二千キロ、あるいは、一万二千キロを、天之浮船に乗って行かれた。


そして、世界の各地を訪れて礼拝された、というのです。


竹内文献』については、ひじょうに興味深い古文献ですが、公的には偽書とされています。

一方で、あそこまで詳細な偽書はありえない、やはり真実が相当数含まれている―――と解釈すべきものである、との見解もあります。

偽書とされるのは、現在の天皇家天孫族)の 歴史観そのものを覆してしまうものだからです。

そのため、『竹内文献』に関わるものは、ことごとく管警の処罰の対象となってきた歴史があります。

酒井勝軍は 絶対的な皇室信奉者ですが、その彼ですら『竹内文献』に関わったことから 幾度も迫害されています。

竹内文献』については、さらに論を進めていきますが、まず酒井の『太古日本のピラミッド』にていて 触れていきたいと思います。

                      つづく
                     2015年2月13日記