≪ メキシコ:マヤ文明に触れる 7 ≫
マヤ文明の遺産:ピラミッドを分析する その2
マヤパン遺跡を後にして、カバー遺跡に来ました。
[ カバー遺跡 ]
カバー遺跡は、ウシュマル遺跡の衛生都市として栄えたもので、「プウク様式」を特徴とします。
「コズ・ホープ」と言われる建物には、マヤの雨神である「チャックの顔」が300近くも装飾されています。
「チャックの顔」といわれるマヤの「雨神」
紋章が彫刻された遺跡
この遺跡には「菊の紋」が刻まれていました。
菊の紋―――というよりも、「太陽紋」として有名です。
この紋章は、バビロンの神殿やノートルダム寺院にも使われています。
ルイ14世の指輪にも太陽紋が使われていたといいます。
この菊花紋――スメラミコト(天皇)の紋章が世界に広がり、例えばシュメール文明にも取り入れられていたというのです。
シュメールとは、「シュメラミコト」から派生した言葉、とも云われています。
はるか昔の古代に、日本の地に下り立った日本の神々の先祖が、世界を統治していたという名残・・・・だ、という説もあります。
ともあれ、この菊花紋の遺跡は、4200年前に反応を示します。
画像からは、これほど古いものとは思われませんが、反応ではそうなのです。
古代マヤ文明は古く、前文明の上に、新しい建造物を造ることが特徴ともいわれています。
マヤ人は 天体観測に高度な知識を持っていたといわれています。非常に精密な暦を持っていたとみられています。
その1つは、一周期を260日(13の係数と20の日の組み合わせ)とする暦で、宗教的、儀礼的な役割を果たしていました。
この他にも約52年を周期とするものもあり、さらに大きな周期のカレンダーも複数存在していたといいます。
有名な2012年12月の人類滅亡説は、このマヤ歴から生まれたものです。
今から4000年前にセットすると、当時の繁栄していた時(高い波動)が現れます。
まさに、このことを裏付けるかのような反応を示すのです。
カバー遺跡は 西暦600年頃から1000年ぐらいに繫栄していたと言われています。
これは1300年前にセットして、当時の繁栄ぶりが現れてきます。
すると―――この地には、先に4000年前に繫栄していた文明があって、
それが滅びた跡地に、このようなマヤ文明の遺跡が建造されたのかもしれません。
このように修復されていない遺跡が、まだまだ点在しています。
こことは別のエリアに、調査のみでまだ発掘されていない「大ピラミッド」があります。
残念ながら、そこには踏み込んでいません。
カバー遺跡から、ウシュマル遺跡へと行きました。
ここの見どころは、何と言っても「魔法使いのピラミッド」です。
遺跡の中に踏み込むと、すぐに目の前に現れます。
正面に「魔法使いのピラミッド」が現れます。
立ち入り禁止
このピラミッドは 立ち入り禁止です。
現地の印象では、それほどの波動の高さを感じませんでした。
ですが―――
後日 画像分析することで、この「魔法使いのピラミッド」が 類まれなエナジーを秘めていることを見出しました。
そのような視点でみることで、ガラリとその様相が一変するのです。
驚くべき反応を示すのです。
つづく
2016年11月30日記