古事記によると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が、左目を洗ったときに産まれたのが「天照大神(あまてらすおおみかみ)」です。
その後、今度は、右目を洗い、そのときに産まれたのが「月読尊(つきよみのみこと)」です。
「月読尊(つきよみのみこと)」は「夜」をつかさどる神として、月にたとえられています。この神様をまつってある神社が「月読神社」です。
そして、更に、鼻を洗ったときに産まれたのが「スサノオノミコト」です。
この神様は、「海」をつかさどるように命じられた、とあります。
この3人の神様は 他の八百万(やおよろず)の神々とは別格で、三貴神(みはしらのうずみこ)と記されています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は「昼」をつかさどる神で、太陽にたとえられて、高天原(たかまがはら 註:正式な読みは「たかあまはら」)を治めています。
これに対して、月読の神は、この地上を月の光がまんべんなく照らし、自由、平等、平和に過不足なく生きられるようにと願っている神様です。
さて―――
大和時代、壱岐では、壱岐氏という豪族が壱岐を支配して、治めていました。
また、壱岐氏は、占いによって航海の海上案内をしており、朝鮮半島→対馬→壱岐→九州の航海安全を祈るため、月読神社を建てました。
月読神社は、当時、航海の第一人者であった壱岐氏が、壱岐の島でまつっていた航海の神様です。
いつ造られたかは分かりませんが、日本最古の神社と言われています。
月読神社があるこの場所は、今は小さな神社ですが、かつては大きな神域をもっていたと考えられています。
そして―――この壱岐の「月読神社」から 全国に分霊して、各地に月読神社が建てられています。
伊勢神宮の内宮には、「月読宮(つきよみのみや)」があります。
外宮には「月夜見宮(つきよみのみや)」があります。
ともに 壱岐の「月読神社」から分霊したものです。
また、京都 嵐山の松尾大社の近くに、「月読神社」があります。
壱岐の「月読尊」が「京都に祀れ、さすれば国が栄える」と告げたとされています。 それを受けて 大和時代に京都の嵐山に 「月読神社」を祀ったといいます。
その後 京都の「月読神社」を中心として、全国に神道が根付くようになったといいます。
つまり―――壱岐の月読神社が 全国の月読社の「元宮」(もとみや)となるわけです。
このことから 壱岐は「神道の発祥の地」とされています。
さて―――「月読神社」を紹介します。