生命体エナジー浄化の会ブログ

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パワースポット巡り12人旅 日本最大の霊峰白山に挑む

日本最高のパワースポット白山
 
白山―――いずれは、行かなくては・・・・どうしても行くべき わが国最高のパワースポット「白山」・・・・
 
この思いは、徐々に強くなってきて、高齢者となっている自分が実際に行けるのも、時間との闘いとなっているとの思いがありました。
 
そこで、「次回のパワースポット巡りは、白山!」と、私から提案したのです。
 
その標高が2700Mと聞いただけで、メンバーのタッキー、ヒサヒサは
「あたしらは、麓(ふもと)の温泉で待ってる・・・・」
と、まったく行く気になりませんでした。
 
男性陣は、一様に「行く気満々で、面白い! 行きましょう!」
と、快諾していました。
 
白山とは、日本三大霊峰(霊山)のひとつです。
富士山
そして「白山」
 
すぐにゾネスが、「日本の三大霊山」の本を購入してきました。
見るとーーー
 
世界遺産の富士山よりも、また立山よりも、群を抜いてその波動が高いことが、掲載されている写真からも伺えます。
 
本に載っている画像からも、ゾクゾクするほどの高波動が感知されるのです。
 
富士山よりも、立山よりも、明らかに群を抜いて波動が高いのです。
 
この「白山」に、「あたしら・・・行きたくない!」と宣言するタッキー、ヒサヒサには、神を愚弄する不届き者としか 映りませんでした。
 
白山には、古来より その山頂には「天御柱(あまのみはしら)」があって、それこそが「世界の中心となる」唯一無二のパワースポットである、と伝わっていたのです。
 
日本列島は、世界の映し絵となっていて、世界のひな型と言われています。
つまりーーー
 
北海道は 北米大陸
本州は アジアのユーラシア大陸
九州は アフリカ大陸
台湾は 南米大陸
 
このように指摘されているのです。
 
日本は、世界のひな型であって、世界の中心となる「霊的な場」であり、
古代世界においては、世界を統治していたのが日本である、という伝説にも合致しています。
 
日本の誇る大霊能者である出口王仁三郎の「大本神歌」にも、このことは書かれています。
 
外八州・内八州史観
日出る国の日の本(日本国)は、全く世界の雛型ぞ。神倭磐余の君(神武天皇)が大和なる、火々真の岡に登り坐、蜻蛉の臀甞せる国と、詔せ給ふも理や。

我九州は亜弗利加に、北海道は北米に。台湾嶋は南米に、四国の嶋は豪州に、我本州は広くして、欧亜大陸其儘の、地形を止むるも千早振、神代の古き昔より、深き神誓いの在すなり


「日本は世界一、地の中枢である。熱帯に枕し寒帯に足を延し、あらゆる気候、あらゆる土質風土の凝聚地である。


すなわち世界一切の小宿写である。否、世界万邦の中つ国として、万国統治の中府である。

霊域であるこの霊域、日本国の中府に大御柱アオウエイの母音なす金龍海が神示に因りて、築づかれたのである。名づけて大八洲と称し、世界の縮写とす」
このように言われて 世界の中枢ともいう日本の 本州の中心にそびえているのが、「白山」なのです。
 
なぜ、外八州・内八州なのかというと、
イザナギイザナミによる国生み神々は、日本列島を生んだだけではなく、日本列島をモデルとして世界の大陸の島々を生んだといいます。

日本列島を「大八州=内八州」といい、外国の島々は「外八州」ということから、内八州、外八州というのです。
 
ある時、タッキーに対して、白山の最高のパワースポットに立った時の想定される状態を、イメージで引き出して、タッキーの身体に注入したことがあります。
 
そのとき、身体がゾクゾクして 凄まじいパワーを感じ取ったようで、これを境に 「行く!行く!」と山を目指すことに同意したのです。
 
すでに「カネゴン」、「ゾネス」は 行く気満々でした。
 
大阪から参加のイッチは、当初タッキー達の意見に押されて消極的でしたが、仕事の都合で今回のツアー参加を断念していたピカリンをおいて、大阪から一人参加となりました。
 
また、前回の10人旅で同行したメンバー以外に、群馬から「ツカ」「トミー」そして東京都下から「バルサン」(鍼灸師)の三人が加わり、総勢12名で霊峰「白山」を目指すことになったのです。
 
もう一度、あらためて その他の参加者を紹介するとーーー
 
ジジイである私のサポート役を仰せつかっている超売れっ子トレーナーの「ミッチー」
某大学の准教授である医学博士の「皇子(おうじ)」
神々の高波動エナジー数十体にサポートされている「アジャリンコ」(柔整師)
 
以上、私を含めて12名が、集合地の松本に集まりました。
 
2017年9月1日
この当時、日本列島には大型台風が接近していて、天候が気になっていましたが、天候には恵まれました。
 
ただ、スタートでまた、ミッチーが車内に切符を置き忘れたといって、戻るなどがあって、出発時刻が大幅に遅れました。
イメージ 1

画像:右からアジャリンコ、イッチ、カネゴン、ひとりおいて中央にバルサン、ヒサヒサ、タッキー、ミッチー(松本駅で)
イメージ 2

画像:松本までクルマできた左からゾネス、トミー、ツカ(ニッポンレンタカーで待っていました)
イメージ 3
画像:左からゾネス、ツカが加わっています。トミーはレンタカーの操作中でした。
 
クルマ3台に4人が分乗して、高山方面を目指します。
 
松本から上高地へ行く道と分かれ、高山に向かいます。
思えばーーー
 
私が 新婚旅行のときにクルマで北陸―山陰―山陽と回った時に、野麦峠を超えていきました。
 
戦前岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代)たちは、野麦峠を越えて長野県諏訪岡谷の製糸工場へ働きに出たといいます。
 
大竹しのぶ主演で映画化もされた「あゝ野麦峠」というノンフィクション小説「ある製糸工女哀史」がありました。
 
吹雪の中を危険な峠雪道を越え、また劣悪な環境の元で命を削りながら、当時の富国強兵の国策において、有力な貿易品であった生糸の生産を支えた 女性工員たちの姿を伝えたものでした。
 
病気で倒れ、迎えに来た兄の背中に乗って、野麦峠まで辿り着きます。
そして、故郷の飛騨高山地方を見て、亡くなるという・・・確かそのような内容でした。
 
その当時の昔は、そのようなイメージの野麦峠でしたので、この峠を越えた時のことに、思いを馳せていましたが・・・・
 
トンネルを抜けて、あっという間に野麦峠は通り越しました。
昔の感動も、感傷に浸ることもありませんでした。
 
さらにクルマは進み、世界遺産の「白川郷」を横目に見て、平瀬道登山口の駐車場に向かいます。
 
対向車が来ると、ここまでのアプローチはやや危険な道路が続きます。
 
駐車場に到着して、いよいよ出発の準備をします。
イメージ 4

イメージ 5

数多くの神的エナジー体をまとっているアジャリンコは、歩行中でも水分補給ができる装置を背負っていました。
 
 
山小屋の宿泊地である室堂までは、4時間半のコースです。
 
ただ、登り始めたのが、3時近くになっていて、急がなくては日が暮れてしまう状況にありました。
イメージ 6
 
こうして ようやく出発となりました。
 
スタートから ひたすら登り坂が続きます。
イメージ 7

登山口:すでに左側には高波動のオーブが映り込んでいます。歓迎されています。
 
新宿駅で、特急の「あずさ1号」に乗り込んだ時に、何となく違和感を感じて、チェックをしたら「白山」の眷属神のように反応しました。
 
勝手に「私は歓迎されている」「これなら問題なく登れるだろう」とポジティブに解釈していました。が、違いました。
 
はじめこそ元気でいましたが、ジジイの私は 直ぐに息が上がってきて、皆の行動についていくのがやっと、という状態になっていました。

容量がオーバーしましたので、「つづき」ます。