生命体エナジー浄化の会ブログ

「生命体エナジー浄化の会」というホームページのブログです。

六甲カタカムナから根来寺へ 2

六甲の保久良神社(カタカムナ神社)その1
 
 今回のパワースポット探索のメインとなるエリアに向かいます。
事前のイッチの調査では、直接神社までクルマで行けないというのです。
 
そこで、山裾の住宅街の有料駐車場でクルマを停めて、徒歩で保久良神社(カタカムナ神社)を目指しました。
確かに・・・
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関係者以外は、これより先にはクルマでの侵入はできないようです。
 
坂道を登っていくと、山の斜面は工事中です。
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工事中の斜面には、「磐座(いわくら)珍生岩」とあります。
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 波動は良好で、期待が高まります。

 

この画像ではよく判らないので、ネットから拾った画像を載せます。
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この「磐座(いわくら)珍生岩」は、後ほど大いなる発見の一つとなります。
 
だいぶ坂道を登ってきましたので、振り返ると神戸の街並みが広がっています。
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神戸の街並み

 
六甲の山々を背後に、美しい街並みが広がっています。
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保久保神社に、ようやく到着しました。
 
六甲にある金鳥山の中腹にある神社です。
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この鳥居から内側には、結界が張られています。

波動は良好なことが解ります。
 
この「結界」があるか否かが、「パワースポット」となる神社仏閣の判断の一つとなります。
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椎根津彦命(しいねつひことのみこと)が、鳥居の横に鎮座されています。


椎根津彦命とは、保久良神社の主祭神である「須佐之男命(スサノオノミコト)」「大国主命オオクニヌシノミコト)」などと共に祀られています。
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保久良神社由緒書によると


「社名の起因も1椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る 2三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、元来の主祭神は神武東征の時に、明石海峡に現れて軍勢を先導した椎根津彦命である。


椎根津彦命は、保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背に乗って、この浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった。」


このように記載されています。
 
まず、気づくことは、「どこにもカタカムナ」とは書かれていないのです。
 
境内に入っても、どこにも「カタカムナ」とは表記されていないのです。
保久良神社のホームページにも、カタカムナ」については、一切載せられていません。
 
カタカムナ」については、現在は多くの関連書籍が発刊されていますが、その基となる神社と思われる保久良神社では、カタカムナ」の「カ」の字もないのです。
 
以前から 「カタカムナ」については興味を持っていましたが、「カタカムナ神社」がどこにあるのかも、特に考えたことはありませんでした。
 
ところが大阪在住(正確には兵庫)のイッチが、「カタカムナ神社」に行きましょう、と言ってきましたので、今回の探索となったのです。
 
カタカムナ」とはーーー
 
上古代の 日本人のルーツともいえる先住の古代人がいて、彼らが残した文献を指します。
それは、カタカナの元となったものともいわれ、高度に発達した文化を持っていたとされています。
 
カタカムナ人とは、天皇家の祖となる「テンソン族」よりも、はるか昔、今から1万2千年とも4万年前ともいわれています。
「アシア族」ともいわれています。
 
「アシア族」とは、「亜細亜」の語源となったとの説もあります。
1万2千年とも4万年前ともいわれておりますので、地球文明の起源にも関わるのではないかーーー
このように指摘する学者もいます。
 
ある書物では、現在の地球人の2割が「地球原人」で、残りの8割は 他の天体からの移住者である、との説を唱えています(「波動の法則」の続編「真地球の歴史」)。
 
その書物の中では、文明は幾度も発達しては、核兵器などで滅んだことや、そのような太古の文明の痕跡は、現在の地球のほんの表面近くに存在するーーーこのような指摘もされていました。
 
それを読んだ時の複雑な思いが蘇りました。
 
上古代とは、「縄文時代」よりもさらに前の時代です。
そのような高度な文化を持ったカタカムナ人が 我が国に存在していて、その文化を80種の「ウタヒ」に残しています。
 
これを解明したのは、楢崎皐月(以下敬称略)という天才物理学者・科学者です。
どのような経緯で、「カタカムナ文献」に巡り合うことになったのか?
 
                            つづく
 
                           2018年11月11日記