生命体エナジー浄化の会ブログ

「生命体エナジー浄化の会」というホームページのブログです。

房総のパワースポット2020 その4

《 房総のパワースポット2020 その4 》

神崎神社(こうざきじんじゃ)~かまど神社

 

 緊急事態宣言下で、暇を持て余していました。

その時感じたのは、フィットネスクラブに行けない状況下では、耐えきれないほどのストレスがかかる、ということでした。

 

私は、自宅の風呂には入りません。シャワーだけです。

フィットネスクラブの「ジャグジー」に浸かり、身体に溜まる「霊的な垢」を排出することが日課となっています。

 

そのような鬱々とした状況を変えようと、「天狗界、仙界、真言密教界を考証する7」に書いた「下総の神崎社(こうざきしゃ)」に行こうと思い立ちました。

 

その中で、神崎社の「山」の中で異人に会い、薬の処方箋を授かった人物の話が出てきます。

 

ならば―――神崎社に行き、その山の中で「異人」に会い、何か教えを乞おうと考えました。

 

私は、神崎社のある「山」は深いのであろうと考えました。

「山」に入り、歩き回れば、何か反応するものがあるはずだ―――と、考えたのです。まったく、子供じみた発想でした。

 

そこで実行に移します。

2020年4月17日のことです。

 

「下総の神崎社(こうざきしゃ)」とは、神崎神社(こうざきじんじゃ)のことです。

 

その神社の背後に深い山があり、そこを探索するつもりでしたが、近くに来ても、「山」がないのです。

 

「ン!?・・・」「そんな・・・はずでは・・・」

少し当てがはずれて、丘の麓にある神社の駐車場にクルマを停めました。

f:id:semeitaienergy:20210202081414j:plain

神崎神社への案内表示

 

f:id:semeitaienergy:20210202081509j:plain

 

坂道を登ります。

ですが・・・どうみても、「山」ではありません。

f:id:semeitaienergy:20210202081606j:plain

 

参道を上から撮りました。

駐車場からの坂道を登りましたの、ここは通っていません。

f:id:semeitaienergy:20210202081658j:plain

 

境内です。

波動は良好です。

 

神崎神社(こうざきじんじゃ)は、千葉県の香取郡にあります。

あの香取神宮が、近くにあるエリアです。

 

天鳥船命(あめのとりふねのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を主祭神としています。

天鳥船命とは、天鳥船(あめのとりふね)のことと思われます。

これについて、少し触れておきます。

 

天鳥船(あめのとりふね)とは、超古代に世界を統帥していた、「天皇」が世界各地を廻る時に乗っていた「宇宙船」のようなもの―――との伝説があります。

 

かって地球上には楽園が築かれていて、「天皇」が統帥していたという説があります。その統帥者である「天皇」は、定期的に地球の各地を巡り、人民を指導していたというのです。

 

そのときに、乗っていたのが天鳥船(あめのとりふね)です。

 

その後、各地の民には「エゴ」などの心が芽生えて、ばらばらになったといいます。

 

今でも、「天皇」は自国の民のためだけでなく、世界の平和と安定を祈り続ける代表としての「御立場」を保持されています。

 

日本国民だけでなく、世界の人々のために、「祈りの儀式」を日々行なわれているお方です。

 

全ての国は、自国の国益を最優先にして、様々な施策を行っています。

自分の国の利益になることだけを優先します。

 

だが、「共に繁栄しよう」という意志を持って接した国が、歴史上ただ一国のみありました。

 

それは―――日本です。

 

西欧諸国がアジアを植民地化して、搾取し続けている時代に、日本は「大東亜共栄圏」を掲げて、アジアに進出しました。

 

韓国も併合したときは、国際世論で「植民地化」と認められない併合でした。

日本本国と同等の教育方針のもとで、国造りをしました。

 

教育が行き渡らず、韓国民は貧しい生活を余儀なくされていました。

大半の国民は、文字すら読めない人が多かったといいます。

 

その後、韓国大統領は、

「あの時代は、韓国はソ連、中国あるいは日本の三国のどれかを選ばなければならない状況におかれていた。

日本の併合は、ベターであった。そのおかげで私は教育を受けられて、大統領にまでなれた・・・・」

このように語っています。

 

今だに韓国は、李承晩系列の支配者層の影響下で、その日本への反日教育を続けていますので、日本とはうまくいきません。

 

日本は、「太平洋戦争」という言葉に統一されているのには、GHQ(米国の進駐軍)が、「大東亜戦争」という「大東亜共栄圏」に関わる言葉の使用を禁止したことにあります。

 

日本は、本気で欧米列強の植民地支配から、亜細亜の諸国を解放して、「共に栄えよう」との理念を掲げていました。

 

ひとつの例を挙げておきます。

 

日本は第1次大戦に参加して、スペインやドイツが植民地にしていた太平洋の諸国を植民地としました。

 

アジアの諸国は、欧米の植民地政策で、徹底的に搾取され続けていました。

パラオもまた、次の統治者である日本になって、「どうせ同じであろう・・・」と思っていました。

 

日本がパラオを統治する前には、どのような状況にあったのか―――

 

油を取るヤシの実やサトウキビを栽培するために、無理矢理に土地を開拓させて、リン鉱石が発見されると、鉱山で採掘させて、ほとんど賃金はなく、反抗するとムチ打ちの刑に処して、暴動を起こせば、銃殺されて木に吊るされて見世物にされました。

 

奴隷のように搾取、虐殺されて、疫病も蔓延して、パラオの人口は半世紀で、90%も減った・・・・といいます。

 

しかし―――日本の統治は違いました。

 

国民に教育を受けさせ、自分たちで国を繁栄させることが、独力でできるように指導教育したのです。

 

パラオのベリリュー島に、日本は基地を造ります。

島民は 初めは恐れていましたが、友好な日本兵と共に国づくりに協力します。

 

戦況が悪化して、米国がこの基地に攻めてくるのは時間の問題でした。

日本兵塹壕を掘り、島民もそれを手伝います。

島民は、日本兵と共に「我々も戦わせてほしい」と申し出ます。

 

だが、ジーっと聞いていた守備隊長は、「あまえらのような原住民と、皇国日本の軍人が戦えるか!」と、その申し出を一蹴します。

 

島民は、「裏切られた。あれほど友好な関係だったのに・・・・」と無念の思いで、島民全員がその島を離れていきました。

 

その船が沖合に出たときに、一斉に日本兵が浜に出てきて、ちぎれるほどに手を振っていたといいます。

 

その後。米国の艦砲射撃が続き、猛烈な攻撃で島の形が変わってしまうほどになりますが、塹壕に隠れていた日本兵は徹底抗戦して、1日もあれば終わると考えていた米軍攻撃を、長期間耐えて、玉砕しました。

 

島民は、我々を守るために、日本兵は島民の申し出を拒絶したことを知ります。

 

終戦後は、パラオは米国の植民地になります。

米国指導の教科書を用いて、国が発展するための技術も、自立させるための教育は一切ありませんでした。

 

南京大虐殺」の大嘘と同じように、パラオの教科書では、日本人による「パラオ人虐殺」が描かれていました。そして―――

 

自由民主主義を標榜する米国は、資源や労力を搾り取るだけの支配を行いました。

 

戦後、パラオが独立するとき、その島の終戦70周年の記念式典では、自国の国歌を差し置いて、日本の「君が代」を流したといいます(「日本を愛した植民地 南洋パラオの真実」新井利子著)。

 

米国から独立すると、直ぐに米国主導の教科書を改訂して、「日の丸の旗のもとに」というタイトルで、実に36ページを割いて、日本の統治時代を教えるようになっているといいます。

 

大東亜共栄圏」の共に発展をしようという精神は、今でも生きているように思います。

 

象徴となられた「天皇」は、今でも国の代表として、世界平和を神々に祈り続けておられます。日本国民として、感謝以外の言葉もありません。

 

そのような天鳥船(あめのとりふね)伝説に触れられる神社です。

さて―――

 

この神社の創建年代は不詳です。

社伝によると、白鳳2年(673年)に、常陸と下総の二つの塚から遷座したものといいます。

 

つまり、1500年以上の歴史のある神社です。

 

しかし―――背後に予想していた「山」はありませんし、そこに踏み入り、「天狗」「山人(仙人)」に邂逅したいとの思いは外れました。

 

f:id:semeitaienergy:20210202082255j:plain

 社殿です。

 

それほど高い波動ではありません。

少しがっかりましました。

 

しかし、古文献に登場するものなので、何かあるはずだと探しました。

 

f:id:semeitaienergy:20210202082404j:plain

 神社の「祭神」や由緒の書かれた看板

「白鳳2年に創建された古社である・・・」と書かれています。

f:id:semeitaienergy:20210202082510j:plain

 

天然記念物の「神崎の大クス」の看板

 

社殿の近くにある「御神木」(なんじゃもんじゃの楠木)の由緒が書かれています。

 

水戸光圀が、この大木を見て「さて、この大木は何というもんじゃろうか・・・」と感嘆されたことから、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれています。

 

f:id:semeitaienergy:20210202082624j:plain

 

明治40年に、御社殿の火災があり、その延焼で主幹は高さ13Mで切断されています。

 

「天然記念物」の「御神木」ですから、珍しいものです。

残念ながら、「御神木」として、「生きている」反応はありません。

f:id:semeitaienergy:20210202082730j:plain

「神崎の大樟(おおくす)」の表示があります。

今でも、幹回りは13Mもあり、当時の大きさを残しています。

 

まだ、その他にも何かあるはずだ・・・・と探しました。

ありました―――

f:id:semeitaienergy:20210202082832j:plain

ここの末社は、高波動です。

「地主稲荷」とあります。

 

産土の神を祀るものと思われます。

産土の神(うぶすなのかみ)が4体ほど反応します。

 

さらに振り返ると―――その後方に

f:id:semeitaienergy:20210202082932j:plain

左から「鹿島神社」「香取神社」「かまど神社」とあります。

 

ここは高波動です。

鹿島神社」「香取神社」が高波動なのは、有名ですから判ります。

しかし―――

 

「かまど神社」とは、聞いたことがありません。

鹿島神社」「香取神社」と三並びにあるので、何か由緒があるのではないか、と思いました。

 

「行った方がよい!」との反応があります。

そこで、「かまど神社」を目指しました。

 

                 つづく

 

               2021年2月2日記