生命体エナジー浄化の会ブログ

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ダ・ヴィンチの絵画 その1

≪ ダ・ヴィンチの絵画 その1 ≫
 
11-10-28
 
先日、数十年ぶりに―――正確には36年ぶりに、パリのルーブル美術館に行きました。40年前にも行きましたので、今回で3回目となります。
 
昔の記憶では、ダ・ヴィンチの『モナリザ』だけは、簡単なロープの仕切りがあって、女性係員が椅子に座っていました。
 
ルーブルには、著名な絵画が 多数展示されていますが、係員がそばについているのは、この絵だけでした(その昔、盗難騒ぎがあった影響かもしれません)。
 
モナリザだけは、特別なんだ・・・」と、その時の印象でした。
 
2回目に訪れた時も、それほどの人はいませんでしたので、目の前で、経年劣化による かすかなひび割れが確認できるほどでした。
 
が、今回は―――
 
ダ・ヴィンチ・コード」の影響もあってか、人が多くて しかもガラスでガードされており、まともに見られる状況にはありませんでした。
 
ですが、ルーブルには もうひとつダ・ヴィンチの作品があります。
「岩窟の聖母」です。
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ルーブルの「岩窟の聖母」
 
 
モナリザ」は、最晩年まで持ち歩いて手を加えていた作品でしたが、「岩窟の聖母」は比較的初期の頃の作品と いわれているようです。
 
この作品は、制作された当時は不評で、発注者からの代金の支払いをめぐって折り合いがつかなかった・・・・とも、言われています。
 
ダ・ヴィンチの作品が、一方では特別な展示スペースに在るのに対して、この作品は 他の作品と同じように 通常の展示をされています。
 
その気になれば、手で触れることも可能な状態で、普通に見過ごしてしまいそうです。
 
なぜ、不評であったのかは解りません。しかし―――
 
この「岩窟の聖母」は、天才ダ・ヴィンチの絵に「間違いない!」ことを確認できました。
 
写真は、直接ルーブルで撮ったものです。ひじょうに波動が高いのです。
お解りになるでしょうか。
 
描かれた人物の中に意識を入れていったとき・・・・・私は、ゾワーっと鳥肌がたってきて 途中で止めました。
 
あまりにもリアルな人物像に―――いや、描いたダ・ヴィンチ本人の意識に繋がってしまう感覚が、引き起こされるようなのです。
 
ダ・ヴィンチの絵画は、まさしく別格なのです。
「天才」という一言では、言い表せないリアリティが 絵画の中に存在しているのです。
 
それには、私なりの理由があります。
この「手のデッサン」は、ダ・ヴィンチのものです。
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一つの作品を仕上げるには、何枚もの各部のデッサンを描き上げて、練りに練って ようやく絵画として生み出されます。
 
その昔(40年以上前)、まったく理解不能であったピカソの「ゲルニカ」展に行ったとき、その作品を仕上げるために数百枚ものデッサンをして、ようやく絵を完成した経緯を知ったとき―――その当時 驚かされたのです。
 
ピカソの初期の作品ならまだしも、晩年になるほど「まるで 小学生が描いたような・・・」と想わせるキュビズムの世界に触れて、毛嫌いしていたものが、
 
「奥は・・・深いの・・・かも・・・」
と、思わせるものでした。
 
そのデッサン画を、ダ・ヴィンチも幾枚も遺しているようです。
 
この「手」のデッサンから、肉体にすべてに入り込むことが可能なのです。
別の表現をすれば―――
 
描かれた「手」には、「手」以外の人体部位は、霊体(エネルギー体)として たった一枚のデッサンに書き込まれている、ということが解ります。
 
この「手」のデッサンには、ダ・ヴィンチ自身が映し込まれています。
これが―――ダ・ヴィンチの全作品に共通する特徴です。
 
次のものは、「アンギリアの戦い」の絵画のための下書きデッサンです。
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顔しか描かれていませんが―――
 
この人物の 左膝の膝蓋骨(膝のお皿)が
○ 内方に変位しているのが、察知されます。
 
その顔の前頭葉からは、
○ 胆嚢に反応する「怒りの感情」や、肺に反応する「悲しみの感情」が察知されます。
 
さらに言えば
○ 胸椎5番の変位と連動する 右下顎骨の奥から3番目の「歯」の咬合不全の症状も、このデッサン画の中に映し込まれています。
 
これを―――天才と言わず、何と表現するのでしょうか・・・
 
つづく